創価学会員の私がクリスチャンと顕正会員と話してみて、ありがたかった話

創価学会員 5世 未活動のゆるめです✿
今日のお話は、センシティブなことかもしれません。
なるべく言葉を選びますが、語弊が生じるのは覚悟で、綴らせていただきます。
毎度のことですが、あくまで”私の視点”であることをご了承ください。

2人との出会い

2人とは、同じ職場で出会いました。
顕正会員の人が、「みんなでご飯に行こう」と誘ってくれて、そこでその人が顕正会員だと知りました。
最初は「南無妙法蓮華経」の話だったので、「え!学会員?!」と思いましたが、新聞を渡されて、顕正会だとわかりました。
皆さん戸惑ってましたが、そこで一人の子が「私はクリスチャンなんだよね」と。
それで、私も「あ~、顕正会さんからすると敵かもしれないけど、私は創価学会員で」と言いました。
すると別の人が「私も、活動はしてないけど、学会員で」と。
他にも何人かいましたが、その日集まった人の中で、宗教を持っているひとが多数派という、日本では珍しい現象がその場で起きていました。笑
無宗教の人たちも、戸惑いながら「私は無宗教だけど仏壇はあって○○宗だよ」とか、自分の家の元々の宗派を言い出したりしてて、とても面白かったですね(^^)

顕正会の人と1対1で話した

巷では良い噂の聞かない顕正会(学会もか。笑)で、創価学会の中でも、顕正会の人とは関わらないようにと、注意喚起は何度かあります。
私自身、道端で声をかけてきた人が顕正会の方で、結構しつこくて困った経験もあったので、あまりいい印象を持っていませんでした。
ただ、一人の人間として話してみたいという気持ちはずっとありました。
職場の人なので、変なことにはならないだろうと思い、普段話しているときの印象からも、大丈夫だろうと判断して(上から目線ですみません)、一度1対1で話しましょうということになりました。

そこで印象的だったのが、おそらくその辺の学会員より、日蓮系の歴史や教学の知識があるということです。驚きました。
「あ、お経本のご祈念項目のこの人のことか~!」とか、その方から学んだこともありました(笑)
創価学会員でも、しっかり教学を学んでいる人なら分かっていたことかもしれません。
創価学会が実施している日蓮仏法の知識習得レベルをはかる試験があるのですが、私は当時、たぶん青年教学3級か2級かその辺だったと思います。
結構知識得てると思っていたのですが、全然覚えていないことが多いとこを知らしめられました。
それと、学校の試験みたいに、どこか義務のような感じで受けていました。試験前に徹夜で一気に勉強するタイプで、教学もその勉強の仕方をしていたので、興味のある部分は後々まで覚えているけど、興味がない部分は試験の為に覚えているので身になっていませんでしたね。笑
※ちなみに、私は現在は青年教学1級を取得しています。1級の上は無いので、最後まで習得したことになります。

顕正会の人は、創価学会は、会長が池田先生になったところからおかしくなったと主張されていました。学会の悪いところをまとめた本もくれました。
そんな本があることも衝撃でしたが、面白くて読みましたね。笑

顕正会のその方は、顕正会に入ったことで人生が動き出していい方向にどんどん変わって行っているエピソードがあり、単純に「すごいな」と思いました。
落ち着いて、色んな話を聞かせてもらえました。
顕正会のその人の主張には一貫性がありましたし、ブレない感じはさすがだなと感じました。
私のことを、強く脱会させようとするわけでもなく、その後も良き同僚の1人として過ごせました。

私がその職場を辞めてから、同僚の一人が入会させられたという話を聞いて、その入会させられた人から話を聞いたら結構一方的で、人を騙して入会させるような内容だったので、残念な気持ちになりましたが、双方の話を聞いていないのと、
私に対しては穏やかだったので、まあ、結局人によるのかなという結論ですね(笑)

クリスチャンの人と仲良くなった

私にとっては、キリスト教というのは信じるに遠い宗教でした。
一神教は信じるのは難しいなと思っていたのです。
なので、クリスチャンの人が、キリスト教を信じるようになった理由が気になりました。
その人も「なんで創価学会を信じるようになったのか聞きたい」と言ってくれて、話すことになりました。

当日は、そのクリスチャンの人が通う教会にいる、説明の上手い人を連れてきてくれました。ちなみにプロテスタントです。
同僚のクリスチャンの子は、家がクリスチャンで、自分で学んでいくうちにも納得して信仰としてもっているとのことでした。
創価学会が仏教だということを知らなかったようで驚いていました。
池田先生を崇める変な宗教だと思ってる人は多いかもしれませんね。
池田先生は”師匠”です。

説明をしてくださった方は、本当に話が上手かったですね。
「宇宙の誕生から最後までを教えてくれている宗教は他に無いと思う」と言われ、「確かに」と納得しました。
"宇宙"の誕生だったっけ?!とは思いましたが。笑
そこでもまた、自分の宗教についての説明の下手さと、まだまだ教学を自分のものに昇華できていないことに気付かされました。

印象的であり、共感したのは、「キリスト教を”宗教”とは思っていない」という言葉でした。
これは私も、学会で教わったことを、一般的に思われている”宗教”という枠にされていることに違和感がありました。

特にクリスチャンがそう感じるのは納得がいきます。
この宇宙や地球のことを全部示してくれて、過去も未来も書かれてて、自分がどうあるべきかという行動指針にもなる言葉もあり、死んだあとどうなるかもわかるんですよ。聖書にすべて包括されているんですから、”偏っている”という感覚もないと思います。
「せっかくここに解き明かしてくれてるのに信じないなんて勿体ない」という感覚ではないだろうかと、私はそう捉えました。
私にとっても学会で教わったことは、おおかたそんな感覚だからです。

その後も、その人たちの通っている教会に一緒に行って、集会に参加させてもらったりしました。
クリスチャンになるのは、入会届も無いですし、自分が宣誓するのみなんですよね。
(洗礼式もありますが、クリスチャンの方の記事をお読みくださいまし)
さらに、集会でも間口が広くてウェルカムな雰囲気を出してくれますし、私は、一気にキリスト教に対する考え方を改めましたし、そんなプロテスタントの教会の雰囲気に安心感さえ覚えました。

教義的には私の中でやはり納得できない部分があったので、イエス・キリストを信じますという宣言はできませんでしたが、
まだまだ、学ぶ価値を感じているので、今も稀に学びに行かせてもらっています。本当に感謝ですね。
キリスト教にもカトリックとプロテスタントがあり、それぞれの中でも、教えてくれる人によってのカラーもあったり、聖書の解釈の仕方で分かれたりすることもあるみたいです。
もうそれは仕方のないことですよね。仏教もそうですしね。
自分が、この人の話は納得できると思えるところを選んで学んでいく。
どこもそうなんだな~と思わされました。

学会も、キリスト教くらい間口広くなればいいのにと思ったりもしました。

宗教とは

上記2人との出会いと同時期に、以前記事にした無宗教の彼とのお付き合いがありました。
それぞれとの話の中で、自分の宗教への知識の浅さを、多角的に自覚することとなりました。

それから、自分の宗教のことも、他の宗教のことも専門家レベルは無理でも、もうちょっと知らなければと思い始め、勉強しました。
キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・仏教・神道
学ぶうちに思ったことは、やはり現代にも残る宗教というのは、時代を超えてもなお、人間を納得させるような普遍性があるということです。(思ったことが浅いけど。笑)
でもそれって凄いですよね。

何か生命というものへの真理がそこにあるからじゃないでしょうか。(知らんけど←)

それぞれの宗教が発生し発展した地域が違うので、その文化が納得できるアプローチとなったのではないかなと、
実は其々の宗教は、角度とアプローチの違う同じ真実を説いているものだと、私は思っています。

私がこの宗教を捨てない理由としては、
親を悲しませたくないというのが一番ですが、
八百万の神々の存在は否定していない点にもあります。
神仏習合が濃く出ている部分ですね。
私はそれでいいと思っています。
日蓮は八百万の神々を否定していないのに、学会は神社に行くことを否定していた時代もあって、謎です。

基本的に、宗教は人間が道徳的に生きていくための根幹哲学のようなものだと感じています。

だから信心深くなりやすい人は信仰するものをしっかり見極めなければならないと感じます。
宗教はすがるものではないし、その教義によって人を殺してしまうものでもないはずだと思っています。

最後に

この2人(3人)との出会いは、結構前の話ではありますが、私の宗教観へのターニングポイントとなったように思います。

とにかく、宗教の話をあけっぴろげにできる機会なんて、日本に住んでてそう無いですから、分からないことは多くあっても、とにかく楽しかったです。
また、こんな機会があるといいな〜☺️

なかなかに、お伝えするのが難しい話で
結構、深いところまで言いたいことを、我慢して端折りました。笑
感覚的にでもお読みいただいた方に伝わっていると良いなと思っています🌷


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