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2.記憶の蓋が開かれた話

さて、最初に一点だけ。

かなりショッキングな話が書かれます。
前記事までのノリもありません。

辛くなったら、閉じてください。




これを読むあなたは「解離性健忘」をご存知だろうか。
脳が無意識に嫌な記憶を封じ込め、それこそ「記憶喪失」のようにすっかり忘れ去った状態になることをいう。

私はこの健忘に加えて

遁走(健忘を起こした状態でどこかへ行ってしまう)
離人症(自分が自分じゃないような感じがするなど)
同一症(いわゆる多重人格)

まとめて解離性障害と呼ばれているものを患っている。

この健忘で、実に15年以上も忘れていた記憶
決して思い出したくなかった記憶

それがたった一つので、戻ってしまった。
こんなもので? と思えるもので。
2024年12月15日に、あっさりと。

今日書くのは、そんな話。
かつて私が経験した、苦しい話。
虐待家庭で親からは聞けなかった話。

残しておかなきゃいけないと思った。
だから書く。記憶の整理にもちょうどいい。




今から15年以上も前
私がまだ、保育園児だった頃に、父方の祖父の家へ遊びに行く機会があった。

色々あったようで、父方の祖父母は早々に離婚しており、祖父は1人で自営業を細々とやっていたらしい。

だから祖父の家は事務所兼自宅で、とても広くて。
幼い私は楽しくかくれんぼを始めていた。

だが、その少し後、事件が起こる。
ボヤだろうか、突然火の手が上がったのだ。

慌てて逃げる家族はこう叫んでいた。
ゆる! 早く出てきなさい!」と。

でも、私は釣りだと思った。
かくれんぼをしていたから、そう言って出てきた所を見つける算段だろうと、一人で楽しんでいた。

それで逃げ遅れたのだ。あっさりと。
我ながら馬鹿だと思うが、まだ5歳そこらの子供だし、私は祖父が大好きだったから……ずっと隠れていた。

火の手はちょうど私と家族の間で上がったようで、家族は戻って来れなかったため、物陰に隠れていた私は何も気が付かなかった。

鈍感に思えるかもしれないが、火の手が上がったばかりだと焦げ臭いなとか思うばかりで、幼い子供には分からないかもしれない。


あの時、何で気が付いたのだろう。
そこは覚えていない。すっぽりと抜け落ちている。だからもしかしたら、全ての記憶は戻っていないのかもしれない。

次に残っている記憶は、迫りくる炎を背にベランダかどこかの2階から手すりを掴み、怯えて下を見下ろしているものだ。

いわずもがな逃げようとしたら逃げられないという状況だが、この時の光景だけは何よりもハッキリと残っている

炎の熱さ、緊急車両の赤い光、マットのようなものを囲み「早く飛び降りて」「怪我しないから」「早く」と口々に叫ぶ大人達と、焦った顔……

そして

これでもかと鳴り響く、火災報知器の音。

まぁこれを書いている時点で分かるだろうが、私は意を決して手すりを乗り越え、マットか何かに飛んで助かった。

あれからどうしたのか、それは分からない。覚えていない。病院は行ったのだろうが、奇跡的に大きな火傷痕も残っていない。

そこまで大きな火事でも無いし、大怪我もしていないし、死人もいない。だからニュースにはなっていなかった。

そして私はこの忌々しい記憶を、健忘によって15年以上も忘れることが出来ていた。

あの日、隣人の部屋から鳴り響いた音を聴くまでは。


私は後天性難聴を持っている。
恐らく心因性難聴だ。

高い音の方が聴き取りづらく、実際地震速報の音などが聴こえなかったり、車のクラクション音が聴こえなくて轢かれかけたりとかもある。

だから最初、隣から何かが鳴っていることに気が付いていなかった。何か妙に頭に響く感じがあって、片頭痛だと思っていた。

晴れてるのにな……と思っていたのだが、ふと気が付いたら、手や身体が異様なほど震えていた。

心因性難聴のため、恐らく耳自体は聴こえている。脳かどこかで処理が狂っているらしく、難聴状態なだけで耳だけ見ると健聴らしい。

だからこそ……決して開けてはいけない蓋が開かれてしまったのだ。


祖父とは、ある日を境に会えなくなった。

虐待家庭だった私に「爺ちゃんは財政的にも身体的にも弱いから助けてあげられないけど、絶対報われるから」と言い、ずっと背中を押してくれた祖父と、思えば冠婚葬祭以外で会っていなかった。

ようやく会えたのは、祖父が孤独死した時で。
見る影もなく痩せ細り、冷たくなった祖父を見た時、なんでこうなるまで知らなかったのかと思っていた。

今思えば、祖父は責任を問われたのではないか。
幼い孫を火事に巻き込み、危うくあの世行きにさせる可能性があったのだから、そうなっていてもおかしくない。

初めて自分を心から責めた。
逃げ遅れさえしなければ、変に楽しんでいなければ、祖父と会えていて、孤独死だけは免れたのではないかと。


は、記憶に密接に関係しているらしい。
認知症の人が思い出深い音楽を聴いたら生き生きとし始めたとか、医療的な療法にも使われるから相当だ。

たった一つの、隣人が鳴らした、壁の薄い家なら絶対にありえる音で……こんなことになるなんて。

火災報知器の音を聴くとパニック
炎を見ることが異様に辛い

それは昔からあったのだが、理由だけは分かっていなかった。

全ての点が、線になって繋がっていく。

あんな絶望的な思いは、一生経験したくないとまで思ってしまうほど、残酷な結びつきだった。




あれから数日。

今はもうこの記憶を背負って行こうとまで思えるぐらいになったけど、思い出した当初はかなりきつかった。

トラウマが増えてしまった。
それも、たった一つの音で。

今はノイズキャンセリングイヤホンなどを買おうかと思っている。火災報知器の音までは防げないかもしれないが。

予期不安(また鳴ったらどうしようというもの)に苦しめられてはいるが、少しずつ向き合いたい。


というちょっと重い話でした。読んでくださってありがとうございます。

色々とある人生だけど、いつかこの経験が誰かを救う日が来ると信じて、前を向いて生きていきたい。

また次回、次は明るいゆるになりたい。


ゆる

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