谷中分水界と山の壁【都道府県シリーズ第2周:岐阜県 山県市編no.3】
都道府県ごとに地形・地質を見ていく「都道府県シリーズ」の2周目。
今回は岐阜県山県市です。
山県市の南部は3つの谷筋で構成されており、特に旧高富町と旧伊自良村の間には、特徴的な谷中分水界が見られます。
周辺地域には他にも谷中分水界が見つかり、それらがどうしてできたのか?と言う疑問が浮上しました。
※前回記事はコチラ👇
山県市周辺を探ってみる
山県市と岐阜市の境界や、山県市内の旧高富町と旧伊自良村の境界など、山県市南部周辺にはいくつかの谷中分水界が見られます。
前回紹介した谷中分水界は上図の赤丸の位置です。
一見して、どっち方向に川が流れているのか分かりませんよね。
これらの谷中分水界がどのようにして形成されたのか?
ここだけ見ても見当がつかないので、もう少し広い目で見てみましょう。
かなりの広範囲を見渡してみましょう。
山県市南部の地形の特徴の1つとして「小高い山地とその間に発達する広い谷地形(平坦地)の組み合わせ」を挙げられます。
これと似たような地形は山県市南部だけではなく、そのやや南まで続き、また西南西方向にも広がっています。
赤点線で囲った範囲です。
山県市南部も含め、この範囲の地形には以下のような特徴があります。
主要な山地は西北西ー東南東方向に伸びている
主要河川は北から南(多少ズレて北北東~南南西や北東~南西)へ流れている
幅の広い谷(平坦地)は西北西ー東南東方向に伸びている
主要な山地を赤点線、主要河川を青点線、幅の広い谷地形を黄点線でなぞりました。
こうして見ると、山地が壁になって主要河川の流下を邪魔しているように見えますよね。
これらの河川が濃尾平野に流下するために、西北西ー東南東方向の山地の間の狭い谷を通っています。
一方、1つ違った流れ方をしているのが、水色点線でなぞった津保川(つぼがわ)です。この川は北北東から流れてきますが、途中で西北西ー東南東方向の山地に邪魔されて西北西へ流れ、青点線の川(長良川)に合流して西南西へ流下しています。
そう言えば、冒頭で紹介した谷中分水界も西北西ー東南東方向に伸びていました。これは何か関係ありそうですよね。
山地のナゾを探る
主要河川をブロックするように並ぶ山々。
これらはなぜ、このような配列になっているのでしょうか?
こういう時は、地質図を見れば謎が解けそうです。
地形図と地質図を並べたので見比べてみましょう。
山地を構成する地質は主に2種類で、地質図ではオレンジ色と黄色で示されています。
平野部に隣接する一番南の山々はオレンジ色の地質です。
どちらも中生代ジュラ紀の中期から後期(約1億7400万年前~1億4500万年前)に当時大陸の縁辺部にあった日本にくっついた付加体です。
オレンジ色はチャートで、珪質のプランクトンの殻が深海底に堆積して形成された地層です。
深海に堆積後、海洋プレートに載って長い年月をかけて日本までやってきたので、堆積した時代は古いものでは古生代ペルム紀後期(約2億6000万年前)の化石が発見されています。
チャートはものすごく硬く、ハンマーで叩いても容易には割れません。よほど上手に叩かないと火花が散り、跳ね返されてしまいます。
一方、黄色は砂岩で、日本の近海に堆積して形成された地層です。
遠くからやってきたチャートの地層の上に堆積し、その後徐々に陸に近づき、大陸プレートにくっついて付加体になりました。
(※付加体については今後の「日曜地質学」で解説します。)
この砂岩は古い(中生代ジュラ紀)地質なので硬い方ではありますが、チャートほどではありません。
そのため、チャートの山の方がやや標高が高く急峻で、砂岩の山の方がやや低く、斜面も緩やかです。
そのような目で見ると、河川が濃尾平野に入るための「最後の壁」になっている山々がチャートで出来ているのは納得ですね。
それにしてもチャートや砂岩は、なぜ壁のように細長く連なっているのでしょうか?
次回へ続きます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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