サラサラマグマの溶岩台地:北西部平坦~中山間地域【都道府県シリーズvol.33佐賀県part1】
佐賀県は地形的な特徴から9の地域に区分できます(※筆者個人の見解です)。今回はその中の北西部平坦~中山間地域の地形と地質のお話です。
場所は?
再確認しましょう。
北西部平坦~中山間地域は上図の⑤です。
こんな感じです。
玄海町の全域と、唐津市・伊万里市の一部地域です。
地形を見る
では行ってみましょう。
北西の地域は台地状の地形が多くて特徴的ですね。しかも台地面の標高がいくつかあって、階段状になっている雰囲気です。
島々もそれぞれ特徴的なかたち・地形で面白いですね。
やはり台地は地質が関係しているようです。
北西地域だけに見える薄紫色の地質は何でしょうか?
また北西ー南東方向の断層が多いですが、あまり地形には表れていないようです。
大地の歴史
ではこの地域がどんな地質の歴史をたどったのか?見ていきましょう。
〇ステージ1:中生代白亜紀中期
恐竜が生きていた最後の時代である白亜紀の中頃。
約1億2500万年~1億年前、日本が大陸の一部だった頃、マグマが貫入して地下深くでゆっくり冷えます。
こうしてできた岩石が花崗岩(ドロドロのマグマ)と花崗閃緑岩(花崗岩と閃緑岩の中間)です。
赤線で囲った範囲内の、やや濃い目のピンクが花崗岩。
赤っぽいピンクが花崗閃緑岩です。
これらの地質がこの地域の土台になっています。
〇ステージ2:新生代古第三紀後期
時代はザッと飛んで新生代古第三紀の後期(約3400万年~2800万年前)、海の堆積物(砂岩)が上記の花崗岩・花崗閃緑岩の上に溜まります。
地域範囲の南部を中心に広く分布している黄色の地層です。
しかし産業総合研究所の地質図(小林ほか1955)によれば、この黄色の地層は、もっと細かく見ると海になったり陸になったりを繰り返していたようです。陸になった時は炭層が形成されたりしています。
確かに九州北部は石炭が採掘されていましたが、その石炭はこの時代につくられたものでした。
〇ステージ3:新生代新第三紀中期~後期
時代は少し進み、新第三紀中期(約1600万年~720万年前)にマグマが貫入して地下の浅い場所で冷えて固まり、安山岩や玄武岩質安山岩の貫入岩になります。
その後の新第三紀後期(約720万年~258万年前)にアルカリ玄武岩溶岩が噴出します。アルカリ玄武岩は「普通の玄武岩とはちょっと違う玄武岩」と思っていただければと思います(※詳しく話すとマグマ・岩石のかなりマニアックな領域になってしまうので・・)。
南の赤線に囲まれた茶色が安山岩・玄武岩質安山岩の貫入岩です。
そして北に広く分布している薄紫色がアルカリ玄武岩の溶岩です。
なるほど!この地域の大地は溶岩台地だったんですね。
特に玄武岩質マグマはサラサラして流れやすく、シート状に広がりやすいので台地をつくりやすいのでしょう。
そして同じ時代に火山活動がもう1つ。
北西の赤丸で囲った馬渡島(まだらしま)では安山岩・玄武岩質安山岩の溶岩が噴出します。
〇ステージ4:新生代第四紀前期~現在
その後の約258万年~180万年前、今度は馬渡島の東の加唐島(かからしま)と松島で火山が噴火します。
赤丸で囲った場所です。
この時にできた岩石が粗面岩(そめんがん)です。これも詳しく話すと鉱物の組成など難しくなってしまうのでザックリ言うと、「流紋岩っぽく白っぽくてザラザラした火山岩」と言った感じです。
これだとパッと見た感じ、安山岩に似た雰囲気です。
この標本、まさに加唐島の粗面岩だそうです。
そして約1万年前から現在にかけて、河川堆積物や海岸堆積物があちこちで溜まります。地質図の各所に点在している灰色です。
佐賀県北西部の特徴的な台地は、玄武岩の溶岩台地だったのですね。
以上、お読みいただきありがとうございました。
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参考文献
小林 勇・ 今井 功・松井和典(1955)5万分の1地質図説明書「唐津」.地質調査所、60p.