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平野の地下に眠る谷地形【都道府県シリーズ第2周:宮崎県 宮崎市編no.1-2】
宮崎県宮崎市は大淀川下流域の平野部で発展した都市です。
特に北東部の砂丘では、海に面した砂丘の背後の古い砂丘に古くから人々が暮らしています。
前回記事はコチラ👇
今回も引き続き、平野部を見ていきましょう。
平野部の地形
改めて宮崎県の地形を確認しましょう。
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大淀川の河口周辺(上図赤丸)では特に標高の低い(灰色~青灰色)平野が広がっています。
しかし一口に平野と言っても、よく見ると色にムラがありますね。
色の違いは標高の違いなので、どうも微妙な凹凸があるようです。
なお標高は概ね下記のとおりです。
白っぽい青灰色:2~3m
やや薄い青灰色:3~5m
濃い青灰色 :5~7m
もう少し拡大して見てみましょう。
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よ~く見ると、陸上競技場らしきものや野球場らしきシルエットが見えますが、それはここでは気にしないでください(笑)
あくまで自然の地形に着目すると、まるで河川跡かのようなカーブがあちこちに見えませんか?
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だいたいこんな感じでしょうか?
大淀川の古い流路の跡かも知れません。調べてみましょう。
地質図を見る
まず地質図を見ましょう。
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スーパー地形アプリで「シームレス地質図」を表示しました。
はっきりと標高の高い丘陵地は地質が違いますが、平野部の微小な標高差は同じ地質として表現されています。
しかし「シームレス地質図」は日本全国を1枚マップで表したものなので、大局的な地質分布を示したもの。
もう少し詳細な地質図の方で確認してみます。
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5万分の1地質図です。
シームレス地質図では1色でしたが、やはり平野部でも色が分かれていますね。この地質図では3色に分けられています。
各記号の地質名は以下の通りです。
b:堤間低地堆積物
別名「後輩湿地堆積物」。河川の洪水時に河道から溢れた水の最先端付近に堆積する泥質堆積物。湿地になることが多い。
l:自然堤防堆積物
河川の洪水時に河道から溢れた水の最先端より少し手前に砂を主体として堆積する。河道に沿ったかたちの高まりを形成し、まるで堤防のように見えるため、こう名付けられている。
r:河岸砂泥層
河川沿岸に堆積する砂や泥。
すべて河川の堆積物ですね。
要するに、大淀川のかつての氾濫や河道の移動を示す痕跡と言えるものです。
でもこれは地表付近にのみ分布する堆積物です。
前回記事で紹介したように、この地域の北には内陸に古い砂丘があります。
これは縄文時代に形成されたもので、今より海水面が高かった時期の沿岸部。つまりそれより低いこの地域は、その時代は海でした。
と言うことは、河川の堆積物の下には海の堆積物があるはず!
地下に埋没する古い地形
地下の凹凸
上図の5万分の1地質図幅「宮崎」の解説書によれば、宮崎市街地を中心とする平野部の地下には、やはり海の堆積物が分布しているようです。
ボーリング調査の結果、その厚さはなんと約50mに達するそうです。
そのさらに下には新第三期鮮新世から第四紀更新世初期(約500~258万年前)にかけての砂岩や泥岩が分布しているとのこと。
そしてこれら砂岩や泥岩の上面は凹凸があり、複雑なかたちをしています。
それは何故でしょうか?
更新世の海退期
更新世とは約258万年~1万1700年前の時代で、簡単に言うと氷河期の時代です。この時代は地球上の多くの水分が氷になって陸上を覆っていたため、海水面が低くなっています。
その標高は最も低い時期でー120mにも達しました。
つまり、かつての陸地は現在の標高0mより低く、最も低くて「現在の標高0mより120m低い」場所までが陸地で、そこには河川が流れていたということになります。
上記の凹凸とは、その時の河川侵食で形成された地形です。
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上の図はボーリング調査結果をもとに作成された「宮崎市に埋没している古い地形」です。
等高線で表現されているので、苦手な人のために、谷を赤でなぞりました。
水色は現在の河川や湖沼です。
昔の宮崎市の「地上」は、最も低くて今の標高からー60mだったようです。
現在の大淀川の図中央付近には標高0~ー10mの高まりがあったため、古大淀川はやや北を流れていたようです。
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断面図にすると上図のようになります。
斜線部が当時の地表面です。
これがその後の約1万9000年前から温暖になり、徐々に海面が上昇。
そのため谷は徐々に泥で埋め立てられ、一時期は干潟になっていたようです。
多くの人々が住む平野部ですが、その地下に古い地形が埋まっていると想像すると、少しワクワクしてきませんか?
今回は以上です。
お読みいただき、ありがとうございました。
引用文献
木野義人・影山邦夫・奥村公男・遠藤秀典・福田 理・横山勝三(1984) 宮崎地域の地 質.地域地質研究報告(5 万分の 1 図幅),地質調査所,100p.