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「Point of View」の変化
これは2019年に書いて下書きに保存してあった文章だ。
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Title:「本当に伝えなきゃいけないことを伝えられないのはなんでだろう」
余りにも落胆して。
怒りを通り越して哀しみの海に溺れそうだ。
伝わらない。
どうすれば伝わるのか。
どうして伝わらないのか。
…こんなにも私には、伝えたいことがあるのか。
大事なあの子に。
だったら1番大事なことを伝えたらいいのに。
気持ちが拗れて。
とてもじゃないけど伝えられないんだ。
本当の本当に伝えたいことを伝えてもし伝わらなかったら、あまりにも悲しすぎる。
それはそれは、恐ろしいことだ。
あんな子を愛してたまるか。
ゆるしてたまるか。
正しいことを教えなければならない。
間違っていることをマチガッテイルと分からせなければならない。
理性が叫ぶ。
そこに囚われていた。
ずっと。
許せなかった。
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何が伝えられなかったんだっけ。
はっきりとは思い出せないけど、文章の中にもある「愛してるよ。」ただそれだけだった。
愛してると言えない時期があった。
認めてはいけないと思っていた時期があった。
昨年末、長女は”自閉症スペクトラム”と診断を受けた。
恐らく知的障害を伴わない”アスペルガー”の分類だと言う。
それでも、自閉症特有のコミュニケーションに関する言語(感謝する、切ないなど)の理解が出来ていないことがわかった。
診断を聞いた時は、足りない部分をどう補ってあげればいいんだろう!?と悩んだ。
出来ないところにばかり意識が向いてしまって、ひどく頭でっかちになって、私は苦しかった。
ちょうど年末年始に、アクセスバーズ(頭の断捨離ともいわれている施述)のworkshopやギフレシ(施述交換会、gift&receive)に参加する機会が多くあったのが救いだった。
1月11日にはアクセスバーズの資格を伝授出来る「ファシリテーター」になった。
何度も何度も、アクセスバーズの施述をやりっこして。
アクセスの醍醐味を色んな人から伝授してもらって。
私の"Point of view""物の見方”はどんどん変化し、軽くなっていった。
この下書きの中にある、「正しいこと」と「間違っていること」。
これぞ人それぞれの
"Point of view, 物の見方"
によって異なること。
の代表格だよなぁ。
もちろん、「自閉症だから」という前提でも変わっただろう。でも私の場合、それですごく許容できるようになったかと言うと、そうでもない気がする。
人それぞれの考え方、捉え方を許容できるようになること。
人それぞれの特性(得意、不得意、苦手)をそのまま受け止められるようになること。
そこに、年齢や症状などの理由はいらないんだよな。
今そうなのね。
あなたはそうなのね。
そのまま受けとめられること。
そこに「なんのジャッジもいらない」ということ。
それが私のPoint of viewの変化であり、アクセスバーズという1年前には受けたこともなかった不思議な施述の‘’恩恵‘’でもある。
娘の発達障害の‘’恩恵‘’とも言えるし、私が頭を打った大事件の影響、いやいや、これすらも‘’恩恵‘’なのかなぁ?
2019年にこの文章を書いた時の、気持ちをよく覚えてる。
長女を認められない気持ち。
愛しきれない気持ち。
あれは‘愛しきれなかったんじゃない。
私の中の凝り固まった”正しさ”に囚われていたんだろう。
今、長女を可愛いと思えるし、「愛してる」と伝えられる。
「抱きしめられる」し、大声で笑い合える。
受け入れられること。
表現出きること。
じわじわと、幸せ ♪(´ε` )
今日は次女が幼稚園おさぼり。
こんな可愛い時期の子供と一緒に昼下がりにのんびり出来るなんてねぇ。
今しか味わえない特別な時間♪
どんなPoint of viewを持っている?
その物の見方は、あなたを幸せにしてくれる??
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