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人生で一周回ったことがある

「一周回って...」という言い方はよくつかわれる。まっすぐ進んでいたつもりが、気づくとスタート地点に戻っている状態を指す。

小さく一周回ったことのない人はいないだろう。では、大きな一周はどうだろうか?ぼくは人生で大きく一周回ったことがある。

教員を止めた時「二度と英語を使う仕事には就かない」と決めていた。これほど安定したラクな仕事、しかも十年以上もかかってようやく手に入れたポストを捨てたのは、新しい世界に向かいたかったからだ。進路を変えるために、飛び降りるつもりで辞めたのである。

しかし、いろんな経験を経たのちに、結局ぐるっと一周回って、やはり英語を使う仕事に就いてしまった。自分が負けたのだと認めるのは骨が折れた。

ズボンのすそが広がって、やがて閉じて、また広がるくらいなら大したことはない。面白かったギャグに飽きてきて、しばらくしてまた面白くなるくらいなら誰にでもある。

しかし、人生が一周回るとキツイ。群れを離れ、あんな苦労もこんな苦労もした結果、気づけばスタート地点に戻っている。

追いついた自分の背中に「敗北」と書かれている・・・じゃあ、あのままヌクヌク生きるのが正解だったのか。

しかし、母にこの話をしたところ、「まあそういうもんだ」とあっさり言われてしまった。

ということはみんなそうなのだろうか?ぼくの知る限りでは、こんなバカみたいにぐるっと一周している人は見たことがない。でも、そう見えないだけで本当はみんな一周しているのだろうか。

ちなみにぼく自身は、「これは一周回ったのではない。らせんを描いているのだ」と思うようにしている。そう確信しているわけではなく、そうでも思わないとやっていられないので、そう思っている。

というわけで、ぼくはDNAの二重らせん構造をひそかに応援している。応援しなくても、らせんはらせんなのだが、あれが自然界の真理だと思いたい。DNAがそうなんだから、俺だってそうなんだと信じたい。

地球の自転も公転も、宇宙から見ればらせん運動である・・・なんちゃって一見クールに科学しているフリを装いつつ、心の奥では「よっしゃ!」と思っている。らせんは科学ではなく、宗教である。

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