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SNSには「一回戦」がない
■ブログは星の数ほどある
あなたにもおぼえがあるかもしれないけれども、ぼくがネットでよく経験するのは、
おもしろいブログに出会ったので読んでいくと、最終更新日からすでに数年経っていることに気づく
というパターンだ。いまごろになってぼくが
おもしろいよ~
と声をかけても、ブログ主は数年前にすでにこころが折れているので手遅れだ。
ブログ主からすれば、
なんでだれも気づいてくれないんだ・・
と孤独に感じていたかもしれない。これはちょっとわかる。ぼくも孤独を感じることはよくある。
しかし、だからといって読者が責められる筋合いでもない。読者はいじわるをして無視していたわけじゃなくて、単に気づかなかっただけだから。
ブログなんて星の数ほどあるわけで、全部確かめているわけにはいかいので、出会うかで出会わないかは運しだいだ。
■SNSには「一回戦」がない
しかも、星の数ほどあるブログのうちの結構な数が、まあ、なんというか・・なんともいえないような出来映えである。
この点が、本や映画やマンガとは異なる。そうしたものは、そもそも世に出た時点で審査を経ているわけで、最低限のクオリティは担保されている。
一方、ブログやSNSのいいところは思い立ったらだれでもいつでもはじめられるところであり、いわばM-1の一回戦みたいなものである。聞いた話によるとM-1の一回戦はシロウトとプロをわけるためにあるのだそうだ(と北野誠さんが言ってました)。
でも、SNSの世界にはそういう審査がないので、だれもかれもがごちゃっと混じっている。そういう場所で
コレというものにたどりつけない
のは仕方がないことである。
SNSは、たとえば歌を聞きたい人が「小林幸子コンサート」に行く代わりに、カラオケボックスを1部屋ずつ回っていくような感じの場所だ。
いずれ小林幸子に出会えないともかぎらないし、出会えなくても無名のいい歌い手に出会える可能性は十分にある。その出会いを喜ぶのはいいけど、出会えなかったことを責められる筋合いにはないということ。
ブログ主が更新をやめちゃったと言うことは、だれも耳を傾けてくれないことに疲れたということなのだろうが、とはいえ止めてしまったら終わりである。
■手っ取り早さを求める人は底が浅い
手っ取り早く結果を出したければ、悩み事に答えたり、儲け方を教えたり、オーラを鑑定したりすればいいだろう。そうすれば訪ねてきてくれる人の数は増える。
ただしぼく個人としては、そういう手っ取り早さを求めている人はそもそも好きではない。なぜかというと、手っ取り早さを求めている人の考えってだいたい底が浅いからである。すぐに結果を求めたがるメンタリティの人の思考なり、作品なりが深かったためしがない。
厳しいことを言うようだが、簡単に心が折れる人の書くものは、しょせん適当なところで考えが折れているし、簡単に気持ちが腐る人の作る作品もやはり適当なところで腐っている。
運に恵まれたら伸びるけど恵まれなければつぶれる程度なら、もともと大した力ではない。
更新の止まったおもしろいブログも同じで、最初は面白く感じるけど、しばらく読んでいると飽きがくる。アイデアが途中で息切れしている。
そう考えてみると、続ける力というの才能そのものであり、つくづくすごいことだと思う。
だからといって「続けていれば光が見えますよ」など甘いことを言うつもりはない。こういうことを書くのが悩み事相談なわけで、そういう人が手っ取り早さを求めているわけであり、そういう人の考えが深かったためしがないと言っているわけだから。
人に励まされなければ続かない程度のことならどのみち大したことはないので、止めても誰も困らない。・・というような言葉を見て「だまれ、うるさいな」と思いつつ黙々と続けていけるような人にぜひ続けてほしい。