毎晩をいっしょにすごす相手がいる人は幸せである
本日も、最終的には深い話にもっていきたいと存じておりまするが、まずはわかりやすくてパンチの効いたお話から切り出しとうござりまする。それと申しますのも、わたくし最近、深夜の公園で・・
のでござります。ゲイではなくてホモです。ちがいはあとでわかります。
3回とも別人でシチュエーションも異なるんだけど、詳細を記しているとキリがないし、深い話までたどり着けなくなりそうなので、いちいちは書かない。
とはいえ、本題に入る前に念を押しておきたいのだが、今日の話は性の多様性やらLGBTQの話にはまったく関係ありません。ゲイとホモを使い分けているのもそのためで、最後まで読んでもらえればわかるけど、ここで読むのを止める人もいると思うので、誤解のないように記しておきます。
今日の記事は、深夜の公園でぼくに声をかけてきたホモオヤジだけでなく、港区おじさんにも、トー横おじさんにも共通する点、つまり
イイ年をして性欲を垂れ流しているオヤジ全員
がテーマであり、LGBTQの話ではない。ぼくが「下半身欲望垂れ流し中年男性」に心底うんざりさせられているのがなぜかを書いていく。
連続で襲われかけたのを良い機会として、その不快感を掘り下げて考えてみたいのであって、単なる社会批判に終わらないように、ちょっと深い話に持っていきたいと思いっています。なぜああした行動がNGなのかも、わかりやすく書くつもりです。
結論から先回りするなら、ああいう性欲垂れ流し中年をやっていると、人生の晩年を失敗するケースが多くなるからなのだが、それは後々書くとして・・
今これを読んでいる人の中にも、キャバクラで女の子のおしりを触るタイプの中高年がいるかもしれない。まことに申し訳ないけど、ぼくの目から見れば、あなたは港区おじさんやトー横おじさんと同類です。
そういう人達に頭の痛い内容になると思うので、不愉快に感じそうな人はここで読むのを止めてほしい。ただし、以下はLGBTQの話でもなければ、性の多様性を否定する内容でもない、ということだけは覚えておいてください。
下半身おじさんのここがイヤ
さて、ぼくが彼らに感じている不快感の正体はというと、
ということです。。
なので、繰り返すけど性的マイノリティの問題とは一切関係ない。ホモオヤジの話から切り出したのは、あくまで読んでくれている人へのサーヴィス心といいますか、一発目に強めのパンチをかまして話をを盛り上げたかっただけである。
若者の性欲が暴れん坊将軍なのはぜんぜんOK
さて、深夜の公衆便所のオヤジたちと記したが、声をかけてきた3回のうちの1回はじつはホモオヤジではなくて二十歳前後のゲイの若者だった。しかも深夜の公園の公衆便所ではなくて、真昼間のスーパーだったので、今日の話とはまったく異なる。
若者は全然OK牧場である。こちらの容姿をきちんと確認したうえで、好みのタイプだったのでナンパしてきたのだろう。
若いうちは、そういうことをどんどんやりましょう!
20歳の性欲が盛んなのは当然のことであって、ぼくの若い頃などは、暴れん坊どころか秦の始皇帝の域に達していたような気がするので、とがめるつもりなどない
異性だろうが同性だろうが、好みのタイプには積極的にアプローチして、いろんな経験をして、ときにはイタい思いもしましょう。そうしてこそ、いずれ最良のパートナーに出会えるのだから、懲りずにどんどんアタックしてほしい。ぼくも若い頃はずいぶん痛い思いをしています。むしろ彼に言いたい。
と。自分みたいな中年オヤジでもまだ需要があるのか・・蓼食う虫も好き好きだな、という驚きの方が強くて、断ったのが申し訳ないくらいだ。ありがとう!がんばれよ!
ただし、中年を過ぎても下半身が暴れん坊将軍&マツケンサンバになっているのはみっともなくて見ていられない。
なぜスケベオヤジは公衆便所が好きなのか
残りの二人はオヤジであり、先にこいつらを断罪してから本題に入りたい。
かれらが声をかけてきたのは深夜の公園の公衆便所の前である。そもそもこれがNGだ。
ぼくは週5日はウォーキングするのだが、最近は暑いので、日が暮れてから公園を歩いており、深夜になることもある。
そうやって歩いているときに、とある公衆トイレの前を通り過ぎると、きまって前をふさぐように飛び出してくるオッサンどもがいるのである。
そして20メートルくらい前を歩きながら、やがてトイレの照明が届かなくなる薄暗い場所まで来ると立ち留まって進路をふさぎ、
などと声をかけてくる。ここでもう1回繰り返すけど、ぼくは性的嗜好そのものを問題にしているのではない。
ちなみにそのトイレはその筋では有名な所らしいが、そもそも深夜の公園の顔も見えないようなうす暗い場所で声をかけてくるってことはですね。さきほどの二十歳の青年みたいに相手がタイプだから声をかけてきたのではなくて
に決まっているんですよ。ひらたくいえば、一発やりたいと思っているだけであって、下品な言い方で申し訳ないけど、ケツを出してくれるヤツならだれでもいいのである。
性欲は人間の基本的な欲求なので、性欲自体を軽蔑するつもりはありません。ぼくにももちろん性欲はあります。でも深夜の公衆便所の横でお姉さんに声はかけない。
仮に100歩ゆずって、一発抜きたいのもよしとしよう。その場合は、都心に行けば、そういう需要にこたえる商売をやっている場所がいくらもあるわけですよ。そこにいけば話は早いし、病気のリスクも避けられる。
それを深夜の公園で知らないヤツに声をかけてきたってことは、とどのつまりは
というあつかましい魂胆なのだ。他人を公衆便所がわりに利用しようということであって、ぼくはタダの便所あつかいされかけたことを不快に感じているので、LGBTQとは無関係だ。
それにしても今思ったんだけど、見境なく性欲のはけ口を探しているタイプの男性って、なぜか公衆便所が好きですよね。
というものが彼らの性のありかたを象徴しているのかもしれません。
結婚20年
ちょうどこの話と前後するころ、妻と「知り合ってもう20年になるね」という話をしていた。20年なんてあっという間だった。そしてどう見積もってもあと20年もすれば別れ別れになるんだな・・というようなことを話して、一層毎日を大事にしなくてはと思ったりしていたところだった。
そんな風にしみじみしつつ歩いている折に、公衆便所の性欲オヤジに襲われかけたのだが、ちなみに3回と書きましたが昨日も遭遇しました。もう俺を放っておいてくれ!
そこで思い出したのが、「釣りはフナに始まりフナに終わる」というという格言である。
釣りはフナに始まりフナに終わる
Gemeini先生によれば
のだそうだ。さらに以下のような含蓄があるらしい。
似たようなものとして「魯山人の卵かけご飯へのこだわり」もあげられるだろう。フナ釣りも卵かけご飯も、シンプルで奥深いということが似ていて、結局ものごとは「基本に始まり、基本に終わる」ということなのだろうな。
人は家族に始まり家族に終わる
人間関係もそうではないだろうか。基本に始まり基本に終わるのではないだろうか。若いうちは、大きな組織の中を泳ぎ回って、陰謀や、愛憎や、裏切りや、駆け引きに満ちた複雑な関係を渡り歩くこともあるかもしれない。でも、最後はシンプルで奥深い関係に戻ってくる気がする。それが家族なのではないか。
家族というのは決して血のつながりや法的なことではない。とても親しい、気の置けないパートナーや親友なども含まれるだろう。
これを踏まえて、性欲垂れ流しオヤジたちに言いたいのは、いい年をして「人間関係の基本中の基本」を見失っていませんか?ということ。
ぼくは「所 & 又吉 & 高橋軍団」である
ぼくは本物のトー横おじさんも、港区おじさんも実際にはしらないけど、前述のように公衆便所おじさんは知っている。
異なっているのはお金のかけ方だけで、派手にお金を使うか(港区)、なるべく値切ろうとしているか(トー横)、タダで済まそうとしているか(便所)だけだ。いい年をして肉体だけを目的にしている点は同じだと思う。
そして、この手の性欲垂れ流しおじさんは、歌舞伎町や港区にかぎらず、全国いたるところにいる。ちなみに、こういう話もネットに転がっているけど同類の性欲垂れ流しおじさんである。
こういうオヤジが多いのは昔からなんだけど、たとえばバブル期の東南アジア売春ツアーとかね。あの手のノリがマジで苦手なんです。
今でも、この手のキャバクラで女の子のおしりを触るタイプの人はぼくの周りのもかなりいて、うんざりさせられる。
「男は全員そんなもんだ」と言われるかもしれないが、そんなことはないですよ。たとえば、芸能人で言うなら、所ジョージさんはキャバクラでお姉ちゃんのおしりを触っている感じはしないでしょう?あるいは又吉直樹さんもそういう感じはしないでしょう?あるいは高橋英樹さんもそういうのが嫌いだと言ってました。
タレントさんはイメージ商売なので実態はわからないけど、でもこういう雰囲気の人はぼくの周りにも一定数いるので、おやじたちが全員、大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶなわけではない。
ぼくも「所&又吉&高橋軍団」会員なのだが、このタイプには2つの特徴があると思える。それは
ということで、こういうタイプは99.99パーセント性欲垂れ流しおじさん化していない。
逆に言えば、結婚していてもキャバクラやら風俗に足しげく通っている人ってパートナーとの関係が形骸化しているのではないだろうか。オヤジ本人に自覚はなくても、パートナーに愛想をつかされて熟年離婚予備軍になっているのではないか。
時間は限られている
それにしても、ある程度の年齢にさしかかれば、人生で何が一番大切なのかを見極めがついてもよさそうなものだ。「人は家族に始まり家族に終わる」ことくらい気づいてもよさそうなものだ。
人にとって、生まれて最初に大事なことは、人として大切に扱われることだろう。そして、それは最後も同じである。
人にやったことが自分に返ってくるのならば、人に大切にされたいなら、人を大切にしなければならない。人をモノ扱いしていれば、いずれ人にモノ扱いされることになる。
そして、結局のところ、あなたが大切にされたいのはネットの向こう側の人ではなくて、手を伸ばせば届くところにいる大切な人に大切にされたい。
ならば、そういう人たちの信頼を損ねないようにと、中年以降はなによりもそれに気を使うことになるはずで「所&又吉&高橋軍団」はそういう風に考える。
だから一瞬の気の迷いで人生を踏み間違えないように、けっこう気をつけているんです。信頼を築くのには長い時間がかかるが、失うのは一瞬だ。
大切な人に大切にされるためには、まず、裏切らないこと、ウソをつかないこと。そしてきちんとコミュニケーションをとること。そういう時間をなるべく多くとることなど。
そう考えていけば、中年に「夜の遊び」などやっている暇はない。
風俗に出かけたり、キャバクラでおしりを触ったり、トー横で女の子を値切ったり、タワマンパーティをやったり、出会い系サイトをあさったり、公衆トイレで待ち伏せしたり、あるいは近所のスナックのママを落とそうとして通ったりする時間は若者の時間であって、中年を過ぎれば、そんな時間は残されていないことがわかりそうなものだ。
一日2時間しかない
1日に寝る時間を8時間とすれば、起きている時間は16時間。そのうちで働いている時間を8時間として、その前後の移動やらもろもろを入れると10時間はかかる。
すると残りの自由時間は6時間。そこから料理やら、食事やら、掃除やら、体のメンテナンス(風呂、歯磨き、髭剃り、ストレッチ、肌の手入れなど)やらもろもろをあわせて3時間見ておくとすれば、残りは3時間になる。
ぼくはここにウォーキングが1時間入るので、のこりは2時間しかなくて、その時間で映画を観たり、本を読んだり、これを書いたりしているんだけど、その2時間を家で過ごすか、外で過ごすかには大きな違いがある。
家で過ごせば、本を読んでいても、ネットを見ていても、相談したことがあればパートナーは聞いてくるし、誠実に受け答えをすれば、相手が今何を考えているかもわかるし、自分の考えも伝えられるし、関係性は維持できる。その期間が長くなればなるほどかけがえのない存在になる。
一方で、その2時間をキャバクラやらタワマンパーティやらで費やせば、パートナーとのコミュニケーション時間はなくなる。
金曜の夜とかたまにはいいですよ。
しかし毎晩飲み歩いて、休日はゴルフに行くなら、パートナーとコミュニケーション時間はかぎりなくゼロだ。
ところで、さいきん結婚しない人が増えているそうなのだけど、それはそれでいいとして、そういうことを言いたいのではなくて、中年を過ぎれば、毎晩、リラックスする時間をいっしょに過ごし、話し合える相手がいたほうがいい、ということで、それは親友でもいいだろう。
昼の時間と夜の時間は違う
先ほど、起きているのは16時間と書いたけど、その16時間は、活動的な時間帯(交感神経優位の時間帯)とリラックスする時間帯(副交感神経優位の時間帯)に分かれる。
昼間働いている人なら、働いている時間が交感神経優位のストレスフルな時間帯で、帰宅してからがリラックスの時間だ。
目覚めている16時間の中で、リラックスできる時間が2時間だとするなら、その時間を、長い年月共有できる人こそが、この世の中であなたにとって一番大事な人であり、
これ以上に大事なことはない。
若いうちは、その時間帯に外に出てせっせとパートナーさがしをするのがいいけど、いったん見つかったらそこで幕を引かないといけない。その後に家庭で積み上げる年月が、他人を家族に変えていく大事な「信頼積み上げ」の時間になるのだから。
その時間を、外での遊びの時間にしてしまうのは、信じられないくらいにおろかな選択だと「所 & 又吉 & 高橋軍団」には思えてしまう。
たしかにホストクラブやキャバクラに行けばプロが気持ちよく接してくれるだろう。なのであなたはリラックスできるが、その時間はホストやホステスたちにとっては労働時間であって「交感神経優位の活動時間帯」なのである。彼らには夜が昼なのだ。
朝が来ればあなたは再び会社に戻って交感神経でバリバリと仕事をこなすが、ホスト&ホステスは仕事を終えて帰宅し、大事なパートナーと副交感神経優位のまったりした時間を過ごす。
夜の街で、あなたがリラックスする時間を共有しているつもりの相手は朝が来ればパートナーのところへ帰っていくが、一方、あなたには帰るところがない。帰宅してもパートナーは冷たいし、あなたは一人である。なぜこんなことがわからないのだろう。
非・軍団員たちよ
僕自身は「所&又吉&高橋軍団」なので、いまさら「よろめき」みたいなものは求めていない。そういうのは映画やドラマの中だけで充分であって、現実には持ち込みたくない。
この手の「所&又吉&高橋軍団」は、全国・・というより全世界いたるところに生息しており、そういう男性は、クルマいじりに夢中になっていたり、オーディオをいじっていたり、山登りに賭けていたり、ソロキャンプに凝っていたり、ネットゲームで廃人になりかけていたり、DIYに凝っていたり、草野球に入れあげていたりとさまざまだが、ぜんぶ軍団員だ。
われわれの軍団は、いいクルマで女の子をひっかけようとか、野球場で女の子にもてようとか、登山の途中でかわいい子と出会おうなどという下心で集まっていない。趣味をエサにして出会いを求めていない。
ところが、そこに、
みたいな下心を胸に秘めた性欲中年がけっこうな数で紛れ込んでくる。
テニスコートとか、寺社仏閣とか、登山道とか、俳句サークルみたいな場所にも紛れ込んできて、よろめきを狙っている「非軍団員」が多いが、所&又吉&高橋軍団からすると、かんべんしてほしい。あなたたちの未成熟な人生観につきあっていられない。
人をモノ扱いしない
「所&又吉&高橋軍団」は、相手をモノ扱いしない。
自分のパートナーには20年前にも魅力があったし、今も魅力があるし、20年後にも魅力があるので、相手の容姿や年齢で態度を変えたりしない。
ところが、性欲中年は「かわいい子」が近くにいる時だけデレッとなる。なんなんだろう。成長していないのだろうか。
以上をまとめると
交感神経優位の時間帯をいっしょにすごせる人は簡単に見つかるけど、副交感神経優位の時間帯をいっしょに過ごせる人は簡単には見つからないし、信頼関係を積み上げるのは簡単なことではない。
でも、それこそが、人生のフナ釣りでありキモだということ。
貴重な時間を、無駄に暴れん坊将軍している非・軍団員たちにそのことに気づいてほしいとは言わないが、せめて深夜の公衆便所で声を掛けてこないでください。歩くのに忙しいので。
つい興奮して話が長くなりましたが、以上があなたの中年ライフの参考になることを願っています。それでは、映画を観て寝ます。おやすみなさい。