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調子のいいときには何かを見落としている

どうもこんばんは!

今日は、失敗は宝物なのか?ということを考えてみました。

失敗は宝物?

さて最近、ある人が「失敗は宝物」と言っているのを聞いて、こころに沁みた。ほんとにそのとおりだと思ったので。

・・とはいえ、同時に次のような疑問もわいたのである。失敗がそんなに宝ならば、その宝の山に囲まれて暮らしたいか?と。つまり

失敗の山に囲まれて暮らしたいか?

と言われたら、それはいやだ。なにごとも失敗するよりは、うまくいっているほうがいい。そうでしょう?

だとすれば、人は本心では「失敗は宝物」とは思っていないのではないだろうか。

最終的にはうまくいきたい

でも、ぼくの知る限り、人生経験の豊富な人で「成功が宝物」と言っている人はいない。

失敗こそ学びのときなのであって、成功はその結果にすぎない

みたいなことを言う人が圧倒的に多い。

自分にしてから、こないだのnoteで「いかにしくじるかが大事なんだ」というようなことを書いた覚えがあるので、まったく同感で、しくじりは貴重なことだと思う。

エジソン曰く

かのエジソン氏も、

失敗は積極的にしていきたい。なぜなら、それは成功と同じくらい貴重だからだ。失敗がなければ、何が最適なのかわからないだろう

と言っていたらしい。

でも、そのエジソンだって最終的に失敗したいとは思っていなかっただろう。最後は成功で終わりたいと思っていたはずだ。

エジソンにかぎらずだが、最終的にはうまいこといきたい、と誰もが思っているのではないだろうか。すくなくともぼくは思っている。

でも、「最終的にうまくいく」ためには、その途中で失敗が不可欠だということを指摘しているのが、失敗が大事という言葉なのだと思う。

小さな成功、大きな失敗

人はどうしても目先の失敗を逃げたがる傾向があって、これはだれでもそうだ。

でも目先の失敗を避けてばかりいると、大きな落とし穴にはまることが、ママある。言ってみれば

小さな成功、大きな失敗

である。逆に言えば、

小さな失敗、大きな成功

ともいえるわけで、最終的にうまくいくためには小さな失敗をたくさんすることが大事なんだけど、ついそれを避けたがるのが人情。そこをいましめているのが、失敗が宝、というやや逆説的な表現なのだと思う

調子のいいときには何かを見落としている

ところで、若い頃って、いま思い出すと、本当にバカだったなと反省することが多いんだけど、その半面で、ピュアな分、本質的なことにズバッと気づく季節でもあったような気がする

その一つが20歳のころのことで、当時のぼくは、こういう言葉をよく口にしていた。

調子のいいときには、何かを見落としている気がする・・

と。当時は、たいした考えもなく、なんとなくを言っていただけなんだけど、今にして思えば、失敗が宝物ということに近い。

調子がいいとき、うまくいっているときというのは、実力ももちろんあるけど、たいていは自分以外の要素がうまく運んでくれたおかげで、なんだかんだでうまくいっていることが大半である。

でも、うまくいっているあいだは、なかなかそこに気づかないで、自分の力でうまくっているように錯覚してしまう。

でも、やがてうまくいかなくなるときがやってきて、実力は変わっていないにもかかわらず、負けが込んでくる。そうなって初めて、

これまでは、偶然が重なってうまいこと転がっていただけなんだなあ・・

みたいなことを痛感するんですね。そういうことを何度か味わった後で、上記のような、二十歳の言葉になったのだろう。

成長ってたのしい

いろいろなことがうまく転がらなくなると「あれがよくなかった、これがよくなかった。だから、今度はこうしよう、ああしよう」みたいな反省&学びのモードに入る。

そうやって欠点を克服して、次に良い流れが来たときには

もうあんな失敗はしないぞ

と気を引き締めてかかるので、実際にうまくいくことが多いのだが、それでもやがて、別の形で、また下り坂に差しかかるときがやってくる。

そうなると、さらに別の欠点が見えてきて、それをまた克服して、その次の波に乗る。

そうやって、アップ&ダウンを繰り返していくうちに、しだいに、人として総合的にパワーアップしていく気がする

これが、成長と呼ばれるものだろうし、生きていて何が楽しいって、成長するのが一番たのしい気がする。

やべえトラック

以上の話は、自動車の運転にたとえると分かりやすいと思うんだけど、うまくいっている状態というのは、無事故無違反なわけですよ。

そうすると、自分は優良ドライバーだ、という意識が芽生えてくるでしょう。たしかに運転が上手で、安全に気を付けているから事故に遭わずにきているのはまちがいない。

とはいえ、高速道路を逆走してくるクルマに遭遇したら、いくら安全運転をしていてもひとたまりもないわけだ

ちょっと話が飛ぶけど、トラック運転手の方々は、さすがプロという感じの安全運転をしている方がほとんどですね。でも、かつてマジでやばいトラックを見たことがありまして・・。

そのトラックは、もうダンスを踊るような感じでね。リズムを付けて左右左右にテールを振りながら突っ走っていた。

こいつはぜったいヤッてるな・・と

(ヤッてるというのは、紀州のドンファンのアレです)

無事故無違反のゴールドで来ているのは、ああいうヤバい連中に遭遇していないからなので、ああ、ラッキーだな、ありがたいな、くらいに思い、初心に帰って安全運転をこころがけるのが人格者なのだが、多くの人はそんな人格者ではない。

ずっと無事故だと、どうしても結果オーライで気持ちが緩んで、ちょっとした違反を繰り返すようになり、やがては大きな事故につながったりする。

そうならないためには、むしろときどき失敗して、それでも大ごとにならないくらいで反省しているほうが、結果的には、大きな事故に遭わずに済む。こういうのが「失敗は宝物」だと思う。

人類は右肩上がりで

以上を、イメージで説明するなら、できるだけ失敗を回避したい人はこういうパターンをイメージしていると思われる。

でもこういう考え方だと、えてしてこうなりやすい↓。

「調子のいいときには何かを見落としている」というのは、うまくいっているうちは、点線の右半分が見えていない状態に陥りやすい、ということだ。

これを避けるには、むしろ、小さな失敗をたくさん経験したほうがいい。そうすると成長の曲線は、こんな感じになるはずだ。

右肩上がりで

ジャンプする前には屈まないといけないということですね。

年を取ってくると体力的には下り坂を迎えるので、もしかすると右肩下がりになるのかもしれないけど・・。

人類は右肩上がりで

でも後に続く世代がいるので、うまいこと体力と知恵のバトンを渡しつつ、人類全体としては、右肩上がりでずっと行ってほしい。

ぼくはそう思っているし、そういう気持がなければこんなことは書かない。そう思っている人は多いんじゃないかな。

まあ、個人的には、もうちょっと虫のいいことを考えている。せっせと運動したり、摂生したりしてなるべく体力の下り坂を遅らせつつ、体力低下の分を知恵でおぎなって、総合的にはやや上り坂で行きたいな、などと都合のいいことを思ってます。

失敗はうれしくはないけど、でも失敗は宝物、という感じで、やっていきたいですね。

以上、読んでいただきありがとうございました!

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