日本語の民主化
先日DVDでNHKスペシャル『日本海軍400時間の証言』(全3回)というのを見たんだけど、今日はそれについては語らない。
すぐれた番組だがとても重い話なのでおいそれとは語れないし、400時間の証言を残しているのは士官様ばかりなので一方的だ。
現場の一兵卒の声は、同じくNHKスペシャルの「証言記録 兵士たちの戦争」というシリーズに収録されている。いまこちらのほうを見ているので、全部見終わったらなにか書くかもしれない。
しかし一本みるとやりきれない気分になり、やむをえずマンガ『めぞん一刻』を読まないと眠れない。なかなかやっかいだ。
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それはともかく今日は「時代時代によって日本語も変化するよな~」ということを語りたい。
上記の番組を見ていて思ったのだが、元軍人さんの話し方(イントネーション)がみなどこか似ているのである。そうして僕らとはびみょうに異なっている。
昭和初期の日本映画で聞いたことのある感じに近い。
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それで思い出したんだけど、『男はつらいよ』の最期の方の作品で、80年代のヤツ。タイトルは忘れたんだけど、その中で寅次郎が旅先で女の子3人組に声を掛けるのである。そして冗談なんか言っちゃって大ウケするんだけど、そこで女の子の一人が
「ウフッ・・おじさんっておもしろいのね」
というのである。イントネーションがいかにも80年代アイドル風なので「なつかし~」と思ったおぼえがある。
さしずめ今の子なら
「おじさんチョーうける」
かもしれない。つまり、日本語はこの40年間でも確実に変化している。
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昨日のスポーツニュースを見ていたら、優勝争いをしている力士がインタビューに答えていたんだけどスラスラとよくしゃべることに気づいた。
あれ、お相撲さんてこんなにしゃべるだっけ?と思うくらい普通の若者だった。
以前なら、
「立ち合いはいかがでした?」
ハアハアハア・・・思い切っていこうと
「とちゅうで左を差しましたね」
ハアハアハア・・・覚えてないス
「明日以降の意気込みを聞かせてください」
はあはあはあ・・・一番一番がんばるだけです
こんな感じだったはずだ。
しかし、いまの関取はスラスラとよく語るフツ―の若者である。
それを言うなら、稀勢の里の荒磯親方がおしゃべりである。よく通る声でいくらでもしゃべる。そういや、解説の舞の海さんも、しゃべりだしたら止まらない感じだな~。
ぼくの知らないうちに、お相撲さんはよくしゃべる人になっていた。ただし、貴乃花さんあたりまでは寡黙だったのはまちがいない。
ちなみにお兄ちゃんの若乃花関も現役時代はひたすら寡黙だったが、いまはバラエティー番組でよくしゃべるのであれはポーズだったのだろう。
「関取はべらべらしゃべるもんじゃない」と言われていた時代があったのではないか。そして、もうそういうポーズが要らない時代になったのだろうなー。民主化したわけだ。
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そういや妻に聞いたのだが、さいきんは電車の車内アナウンスがずいぶん聞き取りやすくなったのだそうだ。
むかしの車内アナウンスは何を言ってるわからなかった。乗客に聞き取れないイントネーションでしゃべっても意味がないのと思うのだが、関取と同じく、代々受け継いできたしゃべり方があったのだろう。その伝統も次第に薄れてきて、いまではすっかり普通のしゃべり方になっているということだと思う。これもアナウンスの民主化である。
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しかし政界はあいかわらずだ。政治家のしゃべりには独特のイントネーションがある。
「えー 前向きにですねぇ、えー善処してまいりたいとですねぇ、 えーこのようにですねぇ、 えー考えておるわけでございます」
「前向きに善処したいと考えています」となぜスッと言わないのだろうかと、いまだにナゾである。
普段からあんなしゃべり方なんだろうか?それとも関取や電車の車掌と同じように、政治家はこういう風にしゃべらなければいけないというものを代々受け継いでいるのだろうか。
だが、河野大臣や、小池都知事、吉村府知事、それに小泉進次郎氏などは、フツ―にしゃべっている。
このうちの誰かが首相になった場合、「えーこのようにですねぇ、 えー考えておるわけでございます」などとは言わないような気がする。
他の業界より変化が遅れているだけで、そのうち民主化するということなのだろうなあ。