「自分のことで精一杯」と言い続けたくはない
たとえば、藤子不二雄Aの『まんが道』を読み終わるとつぎのマンガを手に取りたくなるだろうか。次のマンガを読むよりも自分でマンガを描きたくなるのではないか。
マンガでなくてもいい。なにかを描いたり書いたりしたくなるだろう。机に向かってガリガリと情熱をぶつけたくなるに決まっている。こういう作品はそれほど多くない。
大抵の作品は、読み終わって"おもしろい"と思うと次のマンガに手を伸ばしたくなるようにできている。マンガだけではなく、小説でも映画でもゲームでも同じだ。
それが悪いことだとは思わないし、ぼくもそうやって現実から逃避させてくれる映画が大好きだ。でも『ロッキー』なんか見ると座っていないでジョギングに行きたくなるでしょう?ああいうふうに、観客や読者のエネルギーを外側へ向けて解放してくれる作品もすごいもんだ。
昨日見た『わたしは、ダニエル・ブレイク』もそういう映画だった。有名な作品だから見た人もきっと多いだろう。
単に「いい映画だな」と思って次ににいけるタイプの作品ではない。貧困について考えさせてくれるのではなく、貧困を抜け出したいと思わせてくれる。
ただしぼくがこの作品をみたのは、もうすぐプライムビデオでの配信が終了するのでその前に見ておこうというチンケな理由だった。(11月21日21時半現在でのこり26時間)。ほんとは007を見たかったのだが、あとでも見れるのでこちらを優先しただけ。
そして打ちのめされた。
是枝裕和監督がこのケン・ローチ監督と対談して以下のように言っているが同感である。
何度見てもやっぱり泣いてしまうのが、フードバンクで缶詰を食べてしまうシーンなんですけども。(是枝裕和×ケン・ローチ “家族”と“社会”を語る)
シングルマザーがフードバンクで食糧を分けてもらいながら、飢えにたえられなくてその場で缶詰を開けて食らいつこうとし、ボタボタと床にこぼし、泣く。
直前まで飢えをこらえていたのが観客にはわかっているので余計にこたえる。この人は直前のシーンで、家の修理をしてくれたダニエルに食事を出すのである。自分が何日も食べなていないのに人に食事を出そうとした人が、みんなのいる前で発作的に缶詰に食らいついてしまう。そして「母がこの姿を見たら悲しむ」と泣く。
ドキュメンタリー映画ももちろんすごいものだが、取材対象に巻き込まれないように冷静に距離を取る。しかし劇映画は主人公のふところに入って行く。ダニエルが貧困に巻き込まれるにつれて僕も巻き込まれる。貧困について考えさせるのではなく巻き込んでいく。
見終わったときに、次に何を見ようかと思うのではなくて、なにかしなくてはという気持ちにかられる。
劇中で困っているダニエルをたすけてくれる人はみなふつうの人たちで、彼らを窮地に陥れるのもふつうの人たちだ。「自分のことで精一杯」と言い続けるだけの人になりたくないと思わせてくれる。