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常識があることと健全であることは正反対

ぼくは常識にとらわれない人間なのだそうだが、いいかえれば非常識ということだ。つまり変人である。なぜそうわかるかというと(すでになんどか書いているが)世界的に著名な占術家やサイキックになんどか鑑定してもらったことがあり、みなにそう言われているのでそうなのだろう。

しかし、ぼくのおさななじみには"A"というもっと強烈な変人がいる。かれの変人ぶりにくらべればぼくはかわいいほうである。

たとえば、中学時代のAは、意味なく町中を走り回っていることで有名だった。たぶんヒマだったのだろうが、ヒマだから走り回るという時点ですでにおかしい。ジョギングではなくたんに走り回っているのである。なぜ走るのかときいても「へへへ」と笑うだけだった。

Aはいっさい勉強しなかった。彼の叔父にあたるひとはかつて「神童」と呼ばれていたそうだが、Aもそれを受け継いでいるので、みょうなところでアタマが良い。

Aはテレビがすごく好きで、テレビ以外に興味のない人間だった。月曜日~日曜日のテレビ番組表をすべて暗記しており、下校時に今日の番組を聞くとスラスラ答えてくれる。今でいうとGoogleのような存在だが、脳みそをすべてテレビに注ぎ込み、けっして勉強しなかった。

Aの実家は商売をやっているので、高校を卒業した後、進学も就職もせずぶらぶらしていたようである。あれから40年ちかく経過したが、ぼくがたまに帰省して町を歩いていると、自転車で徘徊しているAを見かける。やや太っており、走るかわりに自転車に乗っているが、あいかわらず町中を走り回っている。たぶんテレビも見まくっているはずである。

こんどの夏に帰ったら声を掛けるつもりだが、おもてうらのないイイやつなので、当時のあだ名で呼び合って自然に会話するだろう。

ふつー高校を出て就職も進学もせず、ぶらぶらしているという話を聞くと、想像するのは「病んだヤツ」とか「引きこもり」とか「DVをふるう」などというネガティブなイメージである。宮崎事件や京アニ事件のごとき非モテの犯罪者予備軍だ。しかし、Aにはまったくそういう感じはない。中学時代からきわだった変人だったが、いつもほがらかだった。

ほんものの変人は、変人生活をおくっても精神に変調をきたすことはない。なぜならそれが自然な状態だからである。Aは、他人と自分を比べることなく、常識というものにしばられず、自分のリズムで生きている。

テレビばかり見て40年間すごしたからといって精神のバランスを崩したりしない。「外の出るのが怖い」などということもない。そういう危うさは、他人とおなじように生きていくことばかり考えていた人が突如こもるからそうなるのだと思う。

健全さとはなんなのだろう?ぼくの考えでは、健全 = 変人である。健全だということは常識があるということとは正反対だ。もし健全 = 常識人ならば、日本は健全な人ばかりのはずで、こんなに自殺は増えないし、同調圧力で息苦しさを抱えることもない。常識人というのは、自分を周囲にあわせて不自然に縛って生きている人のことであり、常識を重んじるこの国は病的な国である。

どんな人にもヘンなところはある。それを隠さないで生きれば健全でいられる。自分のヘンなところを受け入れ、自然にヘンな生き方をすることが健全なことなのだとAを見ていて思う。

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