地獄への道は成功で舗装されている
依存症患者には、ウソのうまい人が多いのだそうだ。
とりわけギャンブル依存症に多いらしく、近親者からお金を巻き上げたりするときに異様にうまいウソをつくという。
ただし、かれらは「生まれつきウソがうまい」のではない。
つまり、「ウソは泥棒の始まり」ということわざはまちがっている。ほんとうは「泥棒はウソの始まり」なのだと斎藤氏は指摘する。
このように、ことわざや格言を無批判に受け入れると、現実を見誤ることがある。 別な例を挙げてみよう。
中野信子氏と和田秀樹氏によれば、「頭が悪いから貧乏になる」のではなく、「貧乏だから頭が悪くなる」のだそうだ。
愚かな選択をするから追いつめられるのではなくて、追い詰められているからこそ、愚かな選択をしてしまうのだという。
これも格言によるあやまった刷り込みである。
さて、ここからが本題だが、ぼくも最近うたがっている格言がある。
ビジネスや投資などで言われる「ハイリスク・ハイリターン」というやつだ。本当は「ハイリターン・ハイリスク」なのだと思う。理由を説明しよう。
ハイリターンとは成功体験である。そして成功者は、「高いリスクを犯したから成功したのだ」と言う。
しかし、高いリスクを冒せばかならず成功するというものではない。たまたま高いリスクを冒していたときに運良く成功したというだけである。
そして、なまじ成功すると次もハイリスクを冒すようになってしまう。つまりハイリターンを得たことによってハイリスクを取るという流れが生まれるわけで、これが僕の考える「ハイリターン・ハイリスク」である。
ただし、ハイリスクを取り続けて、ずーっと成功し続けている人というのは見たことがない。
ユニクロの柳井社長の座右の銘は「1勝9敗」なのだそうだが、柳井社長くらい成功していても10回リスクを冒して1回成功すればいいほうなのだ。
そして、10回リスクを冒して1度しか成功しないならば、たいていの人は身を亡ぼす。ギャンブル依存症というのがまさにこれだ。
最初にハイリターンを得たせいで、その後もハイリスクを冒し続けて破滅に追い込まれる。最初のハイリターンが地獄への道なのである。
さらに、いくらローリスクでやっていてもハイリターンが転がり込んでくることはある。そしてハイリターンがやってくればやはり色気が出てハイリスクを取るようになるので、結果的にハイリターン ー> ハイリスクへ進んでいくパターンは同じである。
つまり、大事なのは「ローリスク」でも「ハイリスク」でもなくて、そもそもリスクから考えることをやめることだ。
優秀な登山家は、天候の悪い日は1歩も進まないが、どれほど天気が良くても1歩しか進まない。「天気のいい日は5歩くらいすすんでもいいのではないか」と思えるだろうが、ちがうのだ。
山の天気は変わりやすいので予測はあてにならない。調子がいいからとペースを上げてしまうと遭難しやすい。
「どういうコンディションでも1歩しか進まない」と、先にリターンを決めてしまうことで、余計なリスクを負わないですむ。これがリターンから規定するという考え方だ。
これと同じで、ぼくは、先の見えない今の時代に、未来予測にもとづいてうまいことやろうとは思ってない。それよりも、自分の欲望(リターン)をコントロールするほうがよほど確実だ。
これは、冒険しないと言っているのではない。登山家と同じで冒険はするのだが、しかし一歩ずつしか冒険しないと決めている。
「欲望をコントロールする」というのは言うほど簡単なことではないけど、千里の荒野を踏破するうえでは最善のやり方だと信じている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?