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私を忘れないで...
かつて勤めていた学校で卒業式の直後のこと。卒業生へ贈る言葉みたいなのを順番に言っていく場面があって、同僚の女性がこう言った。
「みなさん、私のことをちょっとでいいから覚えていてください…」
今ならサラっとスルーするオトナなボクであるが、当時は今の20倍くらいデリカシーがなかったので、ついついおもしろがってしまい、自分のあいさつのときにこういうことを口走ってしまったのである。
「みんな、ぼくのことは今日帰ったらさっさと忘れてイイから...」と。
今思えば同僚に対してじつに失礼な態度だ。悪気はなかったんですよ~。たんにデリカシーのないヤツです生まれてきてスイマセン。
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かつて、全米女子サッカー元代表のワンバック選手は、引退するにあたって「私を忘れてください」というツイートを入れてからアカウントを削除した。ネットでは「忘れられる権利」というのもよく取りざたされる。
つまり、人は姿を消す際に、「私を忘れないで」と思う人と「私を忘れて」と思う2種類に分かれることになる。
私を忘れて、という人は「そっとしておいてくれ」ということなのだろう。とくに犯罪などで世間を騒がせた人にその傾向が強い。だれしもそうだが、都合の悪いことはできれば忘れたいし、忘れてほしい。
逆に言えば「私を忘れないで」という人は私の「よいところ」を覚えていてほしいということなのだと思う。
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ぼく自身は、自分を育ててくれた人々のことは毎日忘れないようにしているけど、それは感謝でもあり、せめて自分が忘れないことが供養になると思っているからでもある。
しかし本人たちはどうだろう?「なにかと忙しんだから、そんなに毎日思い出さなくてもいいよ~」と思っていそうな気がする。自分よりも相手の立場で考えるからそうなるのだろう。つまりは、親心である。
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ぼく自身は、いまでも誰に対しても、ぼくのことはさっさと忘れてもらって一向にかまわない、と思いながら生きている。これは相手の立場で考えているというよりも、ホントにどーでもいいと思っているからだ。80億人もいるんだから、みんなが生きた証などを立てようとしたら地球が混雑してタイヘンである。
ただし、それに加えて、じゃっかんのテレも含まれているような気がする。そこでテレない人が「私を忘れないで~」とすなおに言えるのだろう。