今の子は「アンパンマン」を20回くらい見ても損はない
いまどうなのか知らないが、ぼくが子どもの頃は夕方になるとテレビでかならず子ども向け番組の再放送をやっていた。ウルトラマンや仮面ライダーのようなものをくりかえし流すのである。その中でもヘビーローテーションされていたのが「トムとジェリー」と「一休さん」である。すくなくともウチのいなかではそうだった。
ぼくにとって「一休さん」は「サザエさん」や「ドラえもん」クラスの説明不要な国民的こども番組だという思い込みがあるのだが、もしかすると説明しないとわかってもらえないのかもしれない。
時は室町時代。お寺に預けられているやんごとなき生まれの小坊主(一休さん)がとんちを使っていろいろなことを解決していくという、健全でまっとうな文部省推薦の児童番組だった。
全エピソードを最低5回は見ていると思うが、あれをくりかえし見たことで、基本的なモラルの背骨のようなものができあがっている。
今でこそ、とびきりキチガイじみた映画やゲームなどもたのしむぼくだが、子どものころに「一休さん」を刷り込まれているので、どれほどアブナイ世界に没入しても、迷子になることはない。イイことはイイ。悪いことは悪いのである。逆に言うと、「一休さん」という絶対安心の命綱に守られているからこそ、どれほどアブナイ闇の奥にも平気で入っていくことができる。そして、いつでもアッサリと生還できる。
英語学者 渡部昇一氏の名著『知的生活の方法』(講談社新書)には、子ども時代におなじ本を数え切れないほどくりかえし読むことの重要性がのべられている。渡部氏も、小学校4年生のときに『一休和尚』という少年講談を「なん回読んだかしれない」のだそうだ。
また、それ以上に大きかったのが「半七捕物帳」という勧善懲悪のこどもむけ読み物だという。ほかにもさまざまな捕物帳があり、どれもくりかえし読んだのだが、結局「半七」だけがのこり、大学院に進んでもあきることなくくりかえし読み続けたのだそうだ。
年をとれば不健全なものも、変態がかったものも、気味悪いものもよいと思うが、最初に趣味が形成されるときは、常識的な変態的なところのないのがよい
と書かれている。また「少年のころに芥川などを読んでいた近所の早熟少年は、中学時代に痴漢となった」ともある。渡部さんが芥川龍之介をおもしろいと感じだしたのは30歳をすぎてからだそうだ。
この記事をかきはじめたときには渡部氏の『知的生活の方法』のことは頭になかった。「今でこそ、とびきりキチガイじみた映画やゲームなどもたのしむぼくだが...」と書いたときにはまだ『知的生活の方法』をひらいておらず、上記の引用にも気づいてない。
そのあとで、ふとこの本を探し出してきて上記の箇所にであい「なんだ、おなじことが書かれているじゃないか」と思ったのである。現代なら「アンパンマン」がその役割を果たしているのかもしれない。ならば、今の子は20回くらい見ても損はない。