5年後の今日、きっと会おうよ
トランペットという楽器は、そもそもビジュアルからして花形だ。ゴールドのチューリップが花開いたかのようなルックスをしており、バンドの主役になることを運命づけられている。
ジャズ・トランぺッターと呼ばれる人々も生まれながらのヒップスターを運命づけられているというか、不良っぽくてカッコいい人種であり、演奏そのものよりもライフスタイルがアイコンのように扱われやすい。
「帝王」マイルス・デイビスしかり。クラブで愛人に撃ち殺され33歳で夭折したリー・モーガンしかり。そして、
と呼ばれたチェット・ベイカーしかりである。
地味なトランペッターが好き
ぼくは長年、チェットが苦手だった。普段よく聴いているジャズトランぺッターは、再生回数の多い順に
といったところだ。3位のウディ・ショウは、生真面目すぎるプレイスタイルのおかげで過小評価されているトランぺッターで、そのうえ、晩年は視力が衰え、地下鉄のホームから転落して左腕を切断して死去した。
今日、縁あってこれを読んだ人は、
ということでアタマに刻み込み、冥福を祈っていただければ幸いです。ウディ・ショウを紹介する動画↓↓↓(87回しか再生されていない)↓↓↓
2位のアート・ファーマーは、生まれた時からの「farmer=農夫」であり、ぼくとつなプレースタイルを貫いている。律儀で端正なフレージングが持ち味で、派手なことはやらない。自分のスタイルを生かすために、トランペットのかわりにフリューゲルホルンというさらに地味な楽器に持ち替えていたこともある。
そして1位のケニー・ドーハムだが、日本では、『静かなるケニー』というアルバムで知られおり、うるさいはずのトランペットで「静かなる=Quiet Kenny」と呼ばれるくらいだからよほど地味である。管にゴミでも詰まっているんじゃないのかと心配になるくらいにすがれた音を出す人だ。
以上のように、地味で損しているタイプのトランぺッターを愛聴していたぼくがもっとも苦手としていたのがチェット・ベイカーだった。
中性的なボーカルが売り
プレースタイルはあきらかにマイルス・デイビスのコピーだし、ルックスはハンサムで、ボーカルも歌うが、うまいのか下手なのかわからない中性的な声だ。つまり、モテる条件がこれ以上ないほど備わっている「ジャズ界のジェームス・ディーン」であり、雨の中を美女をはべらせたオープンカーで走る姿がよく似合う。彼に対しては長年、「一度ウディ・ショウの墓参りに行ってほしい」と願うばかりだった。代表作は『チェット・ベイカー・シングス』
トランペッターのくせに代表作が『シングス(歌う)』であり、もっとも知られているビジュアルは、リーゼントでマイクに向かうこのジャケット写真である。
そういうわけなんだけど、この1週間ほどチェット・ベイカーの魅力にずぶずぶにハマっており、好きになってしまった。きっかけは、日ごろあまり聞いていないド派手なトランペッターをアマゾンでまとめ聴きしたことにある。
派手なトランペッターをまとめ聴き
まずは、ウィントン・マルサリス。現代のジャズ界における「横綱白鳳」と呼んでいいだろう。勝つのが当たり前で、うまいのが当たり前で、クラシックとジャズの両部門で合わせて9つのグラミー賞を獲得しており、NYのリンカーンセンターの芸術監督でもある。
18歳でデビューしてから現在まで、リオネル・メッシのような人生だ。
すごすぎて見過ごしてきたんだけど、これは横綱を嫌っているのと変わりない。ウィントンもそろそろトシなので、亡くなってから存在の大きさに気づかされるのは嫌だなとおもって30枚もある代表作を聞きまくったのが数か月前のことで、それからぼくの「トランペットの旅」が始まったのである。
次に、ロイ・ハーグローヴを聞いた。ぼくより1歳年下の若き天才であり、ポスト・ウィントン・マルサリス世代の代表格だったのだが、2018年に腎不全で亡くなってしまった。追悼の意味を込めつつ、数週間にわたって聞きまくった。
そして、次にチェット・ベイカーである。この流れでどうしてチェットに行ったのか自分でもわからないが、深夜だったのでアタマがおかしくなっていたのではないだろうか。
晩年は別人だったチェットベイカー
ここまでチェットのことを悪く書いてきたけど、じつは30年以上愛聴しているアルバムも1枚だけある。『ダイアン』
じつをいうと、上に挙げた「不遇の3名」全員を合わせたよりもこのアルバムを多く聞いているので、ほんとは好きなんだよな。でも、若い頃のチェットは苦手だったのだ。
かれは晩年ヘロイン中毒になり、借金のかたにマフィアに前歯を抜かれてしまった。前歯はトランペッターにとってピアニストの指のようなもので、これをヘロインのかたに抜かれるあたりが
というか、ハリウッドスターのような人生というか、「ファーマー」にはありえない展開の人生なのだが、その後、差し歯を入れて復帰してきたときには若き日の面影はなかった。
歯を入れなおして復帰した後、チェットはまるで借金に追い立てられるかのように大量のアルバムを吹き込み、1988年にアムステルダムのホテルからナゾの転落死を遂げた。マフィアに殺されたのではないかというウワサがあるが真相は定かではない。
それでアルバム『ダイアン』についてなのだが、歯を抜かれて復帰した後のチェットは、歌うと前歯から息が漏れるような感じがあり、カッコ悪い。トランペットの音色もすがれて老境にある。
ピアノだけを伴奏にして、肩の力を抜いてとつとつと吹くソロアルバムで、彼の人生そのものみたいな音がする。これは数えきれないほど聞いた。
いま、思い出したんだけど、今回チェットを聴き始めたきっかけは、『ダイアン』みたいなアルバムが他にもないかと思ってアマゾンで探したら見つかったのが『キャンディ』だったのだ。
『キャンディ』も『ダイアン』並みにイイんだけど、アマゾンの音源では、ボーナス・トラックとしてベースのレッド・ミッチェルと昔話をしている様子が8分間にわたって収められている。レコーディングが終わって一息ついているときの会話だ。
これが良い。このチェットの口調を聞いていると、決してスカしたやつではなく、ひたすらで天然で、肩の力の抜けた男だと分かる。
陽気なレッド・ミッチェルがなんどもジョークを挟むのに対して、ハハハと笑っているだけで、自分からは大したことを言わない。聞かれたことには一言一言ていねいに答えるが、語り口はけだるい。
とため息をつくように語る。レッドも「あちこち回る」と答えており、ジャズミュージシャンはみな貧乏で旅暮らしである。
その後、レッドが「最近、スタンダード曲「マイ・ロマンス」の弾き方がようやくわかったんだ」といって、ピアノを弾き始める。それにチェットがトランペットをかぶせていくのだが、すでにレコーディングは終わっており、テープが回り続けていることに気づいているのかいないのかわからないが、自然発生的な遊びである。
吹き終わって最後にチェットはこう言う。
3年後に死んでしまうので5年後はないのだが、この会話を聞いて伝わってくることがある。
チェットは「西海岸クールジャズ」の代表みたいに言われるが出身はオクラホマであり、このやりとりを聞いていると、スレたところのない「オクラホマの天然な若者」だということがよくわかる。
スターに祭り上げられても、歯を抜かれても、淡々と現実を受け入れるチェットは、終生、自然体の男だったのだろう。以降、ぼくは『チェット・ベイカー・シングス』を聞いても、オクラホマの青年の歌としてこころに届くようになったので、寝ながらよく聞いている。
最後に、彼の「かっこいい人生」を描いた映画『レッツ・ゲット・ロスト』を紹介して終わります。
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