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凡人が強い思いを持つ方法

みなさんこんばんは!今日は

・人間、強い思いを1つでももっていれば大したもの

ということについて書いてみたいと思います。

いいかえれば、たいていの人間は、つまり凡人は、「強い思い」などというものには縁がない。

1つでも本当に強いおもいを持っている人がいるならば、 その人は必ずや世の中に大きな影響を与えているはずであり、偉人か狂人に近い存在のはずだ。

ぼくは凡人なので、そういう強い思いは持っていないのだが、ここで言っている「強い思い」というのはどういうものか、具体的に説明してみよう。

死ぬまで美女を抱く!

わかりやすいのは紀州のドンファン。かれははまちがいなく強い思いを持っていた人だと思われるけれども、強い思い=立派な思いというわけではない。

彼については講談社から3冊の本が出ているが、第一作「紀州のドン・ファン」がこちらだ。いい女を抱くためだけに、私は大金持ちになった

そして続編「野望篇」がこれ。オレは死ぬまで美女を抱く!

そして、三部作のフィナーレがこれ。殺したのは誰だ!?

ドンファンの生涯は「いい女を抱くためだけに、大金持ちになり、死ぬまで美女を抱く!」という、この強い思いだけに導かれたものだったといえる。ただし、強いけれどもよこしま思いであり、恨みもずいぶん勝ったらしいので、最終的には

殺したのは誰だ!?

ということになって、すっかり世間をお騒がせしている。とはいえ

・人間、強い思いを1つでももっていれば大したもの
・ その人は必ずや世の中に大きな影響を与えているはず

という2点はご了解いただけることと存じます。

世界平和の願い

実際、マジな話ですね、世界中の人々が

戦争のない平和な世のなかになってほしい

という思いをドンファンの性欲レベルで強く抱いていたならば、いまから

0.1秒以内に世界の恒久平和が実現する

とぼくは予言してもいいですよ。強い思いにはそれくらいのパワーがあるのだ。逆に言えば、いまだに戦争ばかりやっているのは、われわれ一人ひとりに

平和になってほしい

という思いが足りないからだといってもいい。そりゃ思うことは思うけれども、ときたま思う程度であってドンファン・レベルには遠く及ばない。

いいことはほかにもいろいろと思いますよ。

環境破壊はストップしてほしい
戦争がなくなってほしい
核兵器を廃絶してほしい
いじめがなくなってほしい
交通事故が無くなってほしい
拉致問題が解決してほしい

いろいろと思う。けれどもどれ1つとっても、たまに思う程度であって、せいぜいが

淡い期待

レベルにとどまっており、ドンファンの「死ぬまで美女を抱く!」レベルには達していない。

とはいえ、そもそも強い思いというのは、すでに書いたように1つでも抱いていたら=偉人(または狂人)レベルなのでありまして、イエスや仏陀クラスの人たちでも、たぶん1つしかもっていなかったと思われる。

なので、凡人が5つも6つももてるはずがなく、5つも6つも箇条書きになっている時点ですでにそれは淡い期待でしかないと言っていいだろう。

ただし凡人でも強い思いを抱く場合はある。

その1つは被害者になることだ。
上の例で行くと

拉致問題が解決してほしい

とぼくらは淡い期待を抱く程度だけれども、拉致被害者家族はちがう。かれらは

拉致問題が解決してほしい

とドンファンレベルで強く思っており、実際にこのひとたちの思いが社会をつき動かしている。

あるいは原爆の被害に遭った方々は、生涯にわたって、核兵器廃絶に取り組んでいる。

このように、ごく普通の人であっても、ひょんなことから生涯にわたって1つの強い思いに突き動かされて生きる場合もしばしば見られるのだが、かれらは、ものすごい代償を払って、強い思いを手にしている場合がほとんどであり、うらやましいなどとは口が裂けても言えない。

世界のナベサダ

ここまで暗い例ばかりだしたので もうちょっと明るくて強い思いの例を上げてみよう。

ジャズサックス奏者の渡辺貞夫さん。世界のナベサダ。

中学時代からのファンだけれども、最近、彼のドキュメンタリー動画を見ておどろいた。

練習量がすごいわけ。すでにデビューして何枚もアルバムを出して有名になった後ですら、毎日16時間練習したりしている。

新幹線の中でもトイレにこもってサックスを吹き、家ではマンションの屋上でサックスに木箱をかぶせて、手と口を入れる穴をあげてずーっと拭いていたそうだ。

楽器の調律は大久保の楽器店に頼んでいるそうだが、今でも日に数回来店することもあるという。

調律師が完璧にチューニングしているにもかかわらず、気に入らずじぶんでバルブをいじってバランスをむちゃくちゃにしてしまってまた駆け込んでくるのだと言っていた。

最近では国立音楽大学で教えているそうだけど、生徒さんにも以下のように語っていた。

朝から晩まで音楽のことを考えて生きてほしい・・っていうか、
毎日歌をうたいなさいよ。
寝床の中でも歌を歌うっていうか・・自分の歌を探すっていうか・・繰り返し繰り返しやる。同じことを(6:20あたり)

このドキュメンタリーは30分×4回あるんだけど、毎回が狂気のエピソードばかりで、これが世界のナベサダを支えるつよいおもいなんだなあと、思わされるし、ドンファンとは方向性が異なるけど強さは似ているのだ。

まあ何であろうと、これくらいの強い思いを抱いていたら、そりゃあ実現してしまうということですよ。

貞夫さんのばあいは、生まれつきの体の強さや負けん気ももちろんあっただけど、なんども挫折から這い上がってそのたびに強くなっている面もあるんですよね。

で、今日のメインのテーマとして「凡人が強い思いを持つ方法」というのを考えてみたいんだけど、その前に以上をまとめますね。

まず、

・1つでも本当に強い思いを持っていたら人間は大したもので、社会に影響を与えずにはおかないだろうということ。
・ただし並の人間にはムリだということ。
・凡人が強い思いを抱くこともあるけど、たいていは悲惨な体験の結果であること

凡人が強い思いを持つ方法

さて、そのうえで、凡人が悲惨な体験を経なくても強い思いを抱く方法というか、正確には徐々に強くしていく方法というのがあるとぼくは思っているんです。その上で、実行もしています。

方法はまだ完成していないので、まあスケッチ程度の記述になるけど、どういうふうにやるかというのを書いてみたい。

まあ、そこまでして強い思いを持ちたい人向けですね。

さて、そもそも強い思いというのは、いってみればエネルギーだから、保存則に従っているはずだ。

ただそれだけで存在しているということはなくて、かりに強い思いがエネルギーの山だとすれば、逆に谷間になっているところもあるはずで、言い方を変えれば、

それなりの代償を払わなければ手に入らない

ということでもある。

ということは、生まれつきに強い思いに恵まれている人であっても、「恵まれている」という表現はたぶんちがっており、けっして人格の上にプラスαで強い思いが乗っかっているわけではないはずだ。

別な部分で大きな欠損があるはずで、ドンファンなんかわかりやすいけど。

そしてすでに書いたように生まれながらに代償を払っていない場合でも、その後、たとえば被ばくするとか、家族を拉致されるとか、そういうあまりに大きな代償を払って、強い思いを手にする人もいる。

代償の先払い

そう考えてみれば、逆のこともやれるはずだおもうわけだ。代償を無理やり払わされる代わりに先回りで払ってしまうのである。

といっても、被ばくするとか大事故に遭うとか、あまりにも大きな代償を払ってまで強い思いを手に入れたいとはだれも思わないでしょう。

でも、そこまでいかなくてもね。まあまあの強い思いというか、ふつうにやっていたら手に入らないレベルのそこそこの強い思いを手に入れるために、「これくらいならギリギリ払えるな」というていどの代償を自分から先払いで払ってしまうという方法があると思う。

「ギリギリ払える」というレベルの代償も一括払いだと凡人には大した払いはできないので、まあ分割払いがおすすめですね。

以上の方法論は、じつは東洋占術の願望実現にもやや似ている考え方なんだけど。

そのうえで、あくまで個人的な見解なので、まちがっているかもしれないけど、行者さんの「行」というのもそういう性質のもののような気がする。

行というかたちで厳しい代償を先払いすることで、世のため人のために尽くしたいという思いが強化されていく。そういうことをやっているように見える。

具体例

そこまで大げさでなくても、たとえば、甘いものが好きな人なら、これから願いが叶うまでケーキは食べないとかね。

でも願いが叶う前にケーキを食べたくなることもあるでしょう?
でも本当に願いをかなえたければ、そこでぐっとこらえられるはずだ。

こらえられないなら、しょせんその程度の願いってことで、逆にぐっとこらえられたら、その分、思いのエネルギーが溜まる。

誘惑にかられる回数は何度でもやってくるだろうし、ぐっとこらえる回数が増えれば増えるほど、願いに向かおうとするエネルギーもそれだけ貯えられていく。

ボクサーが「あれだけ減量に耐えたのに倒されてたまるか!」とファイトを燃やすのと同じで、これだけこらえているんだから、これくらいのことはやれる!という思いは強化されていく。

ぼくのやり方

ぼくじしんがなにをやっているかというと、とりあえずの手始めとしてお酒を止めている。今年の6月15日にやめたからまもなく半年だ。

これまでにも3か月くらい止めたことはあるので飲まないこと自体は大したことじゃないけど、今回はとりあえず期限を設けていない。

さしあたって20年くらいだろうか。あと20年生きていられるかわからないので、とにかく先の先までは続ける感じでやっている。

他人に対しては「今ダイエット中で・・」とか「飲まないほうがからだに良いので」などと適当に答えているが、本心では単に思いを強くしたいので、大好きなものを1つ捨てただけだ。

でも、誘惑にかられることは多々あって、とくに外食中など、せっかくだから1っ杯くらいならいいかと思うのだが、そこをぐっとこらえる。

そして、誘惑を乗り越えるたびに、思いはたしかに強くなる。

旅行先で、あれだけおいしい料理が出て、おいしい日本酒も目の前に並んでいるのに、それでもノンアルビールでがまんした自分にこれくらいのことがやれないわけないだろ!という思いは日増しに強くなっていく。

でも、それとは別にして、いいことが多いのは事実なんですけど(笑)。体重も9キロ減ったし、飲まなければ夜にジョギングもできるし、そもそもからだにいいに決まっているので、いいことだらけなんだけどそのためにやめているわけではない。

これは薬物依存の人なども同じではないでしょうか。
もうだめだ。やりたいという日はあるでしょう。
そこでやったら刑務所へ逆戻りだけど、家族の顔が浮かび、ぐっとこらえることができたとき、そのとき家族への気持ちはまたひとつ強くなっていくのではないのかなあ。

とはいえ、依存症治療の場合は、先に快楽を得て、後払いで代償を払っているわけだけど、ぼくが推奨しているのは、代償を先払いでやりましょうということです。

酒で足りなければ、またなにか1つ好きなものを捨ててもいいけど、そうやって段階的に代償の先払いのローンを組んでいって、代わりに強い思いを手に入れる、というのは凡人にやれる唯一の強い思いの手に入れ方ではないかといまのところは思っています。

参考になれば幸いです。
ではまた!

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