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専門家に対して同情はしている

こういう話をするのはイヤなので書きながら何度もため息が出てしまうのだが、書かずにいるのも心苦しいので書いてしまうけど、昨今話題の処理水の海洋放出に問題があるかないかというと

ある

と聞いている。問題というのは社会的影響という意味ではなくて(もちろんそれもあるだろうが)、もっと基本的な自然環境に対する影響があるということ。「聞いている」というのはあるソースから聞いているのだが、詳細はふせる。

心楽しく、次に行きたいだけ

そんなあやふやなことでは説得力がないではないかと言われるかもしれないが、そもそも説得力のあることを書こうと思っていないし、放出に反対するつもりもない。

だまっているのが心苦しいから書いているだけで、完全な自己満足にすぎないので、どうとられようと結構だ。だいたい、こういうことを書くと「風評を真に受けている頭の悪い奴」と思われるのがしゃくなので本当は書きたくない。

科学的には根も葉もないことですよ

なんつって、アタマのいいふりをしたいよ。

話が飛ぶけど、noteを書いていてイヤなのはこういう日である。noteを書いていなければ、「ほんとは問題あるんだけどなあ・・」などとひそかに思っているだけで済むのだが、こうして毎日書いている以上、知っていること(あるいは知っていると思っていること)を伏せたままで、ホラー映画のことなどをたのしげに書き続けることができない。

1回は吐き出しておかなければ、心楽しく次に行けない。

具体的なことはわからない

その上で、どの程度、どういう風に影響あるのかについては知らない。たとえば、

①喫煙
②飲酒
③ストレス
④睡眠不足
⑤運動不足

これらが、はたして体に良いか悪いかと言われれば、どれも良いとは言えないだろう。しかし、どれがどのくらい悪いか。あるいはどれが一番悪いのかを数値化するのは難しい。

世の中にはタバコを吸い続けて100歳まで生きる人もいる一方で、アルコール依存で30歳で死ぬ人もいるらしいので、人によって違うともいえる。

同様に、処理水の放出がチェルノブイリと比べてどれくらい悪いかととか、広島、長崎とくらべてどうかとか、そういうことは言えない。ただし、まったく問題ないのかといわれれば、問題はあるそうだ。

人間ってエラいね

とはいえ、放出しないとどうにもならないのだろうし、問題があるかないかといわれれば、そもそも原発事故が起きた時点で問題があるのは明白であり、以後のできごとはその副産物でしかない。

処理水放出も、次々に倒れていくドミノの1枚でしかなく、いまさらこれだけを止めようと思ってもそうは問屋が卸さない。これは始まりでも終わりでもなく、単独で考えてもどうにもならないことなので、反対するつもりはない。

ただし、経済産業省のHPに

環境や人体への影響は考えられません。

と明言されているのを見ると「人間ってエラいんだなあ」と関心はしてしまう。そこまで言い切れるということは、すでに森羅万象を解き明かしているわけだ。ならばとりあえず放射能の研究はストップしたらどうだろうか?

研究というのはわからないことがあるからやるのであって、すでになんもかんもわかっているなら、これ以上やってもお金の無駄なのでやらなくていいだろう。

すべての謎が解ける日は来るのだろうか

こう考えてくると、人類が「研究」というものをストップする日はいつか来るのだろうか、というギモンがわいてくる。

宇宙のことも生命のこともすべてわかってしまって、これ以上研究する余地がなくなったので「すべての研究をストップします。よってノーベル賞も廃止します」などという日はいつか来るのだろうか。

ぼくはそんな日は永遠に来ないのではないかと思っているほうだが、「永遠」というのは重い言葉なので、まあ

すくなくとも1000年以内には来ないだろう

くらいにしておこう。

一方で、「環境や人体への影響は考えられません」と断言しているエラい専門家たちはぼくよりは楽観的なはずなので、おそらく

100年以内に人類には研究テーマがなくなるだろう

くらいのことは思っているのだろうな。いや50年かもしれないけど・・。あと50~100年もすれば全分野の研究者はやることがなくなって、おまんまの食い上げだけど、さしあたり

放射能のことだけは全部解明済みだぜ!!

くらいのことは思っているに違いない。

1000年後もわからないことがあると思っているくせに、それより1000年遅れた現在の段階で、なんもかんもわかっている風なことを言えるはずがないのだから。

とはいえ、「権威と影響力をもってウソを言う」ような業を背負って生きている人たちに対して同情はしている。ぼく自身はそういう人生でなくて幸いだったし、そのことにすなおに感謝したい。

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