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「引きこもり」は発明である
引きこもりの「8050問題」というのがありますよね。
あの手のネット記事や動画などがあると「人ごとじゃない」と思うのでつい見てしまう。
さて、今日は、引きこもりについて心に残る動画を見たので、その感想です。
「シリーズ引きこもり」
山口朝日放送の「シリーズ引きこもり」という番組で、シリーズ自体は数十回にわたって制作されているらしいし、いろんな賞も受賞しているみたいだ。
その中で、山口県宇部市で40年間引きこもり生活を送り、昨年還暦を迎えた国近斉(くにちかひとし)さんに密着した放送回が5本くらいあって、それを見た。
還暦ということでわかるように、国近さんは8050問題のその先を行っているケースである。今は、引きこもりを脱して、週3回ハウスクリーニングの仕事をしながら、自治会長も引き受けている。
ぼくが国近さんに惹かれたのは、独特の魅力がある人だからだ。
引きこもりは発明である
国近さんは17歳で引きこもったので、ぼくが小学校6年生の頃から引きこもっていたことになるが、ぼくが高校生になったころですらまだ「引きこもり」という言葉はなかった。
高校時代のぼくがに引きこもりにならずに済んだのは、当時「引きこもり」という概念なかったからだと思う。
ユーチューバーという概念のない時代にユーチューバーになれないように、引きこもりという概念のない時代に、引きこもるという選択肢もなかった。だから、太陽が東から昇るように、
学校へは行くものである
とアタマから思い込み、イヤだろうがなんだろうがとにかく、カラダを引きずって通っていた。
さぼっているとしか思わなかった
ただし、高校1年の時に学校に来なくなったクラスメートがいることはいたので、意識の高い高校生のあいだにはすでに「学校に来ない」という選択肢はあったのかもしれない。
引きこもっていた彼は、数か月休んだ後でいきなり登校してきた。そのあいだに自転車で日本一周をしていたらしく、ホームルームの時間に1時間を割いて彼の日本一周体験を聴いたりした。
ぼくは上述のように「引きこもり」という概念自体を理解できておらず、それどころか、授業中にトイレに立つことすらままならない不自由な高校生活の中で、
なんで、こいつだけ何か月も学校をさぼって、しかも旅行までして暖かく迎えられるのだろう?
と不思議で仕方がなく、周囲のクラスメートに
なんで?なんで学校さぼって怒られないの?
と聞きまくってしまい、あきれられたことをおぼえている。今思えば、かれは「暖かく迎えられた」のではなくて、腫物のようにあつかわれていたのだろうが、意識の低いぼくは、自分が損したような気分で彼の話を聞いた。
引きこもりのパイオニア
さて、国近さんは、そんなぼくが小学校6年生の時にすでに引きこもっていたので、相当先進的だ。
こう書くと、苦しんでいる人を茶化しているように思われるかもしれないが、引きこもりの概念がない時代に、すでに引きこもれた人には、やはりなんらかの才能が備わっているとおもわざるを得ない。
とにかく、独特の、淡々とした人で、性格に裏表がないというか、無力の自分をそのまま受け入れているというか、
学校に行きたくない
という自分の気持ちをすなおに受け入れられる人だ。
1つの才能
しかも40年間、アル中にもならず、家庭内暴力もせず淡々と過ごしている。
さらにすごいのは、引きこもりを脱した後で、40年ぶりにスーツを着るのだが、成人式の時に親に作ってもらったスーツにそでを通したら
カラダにぴったし
なのだ。20歳から還暦まで体型も変化していない。こういうのも才能だと思うし、彼にはそういう人らしい魅力がある。
本人は
人と付き合うのが苦手で・・
とさかんに言うけど、市民フォーラムでも余裕のある語りっぷりだったし、現在の職場の同僚からも、
引きこもりと聞いて想像していたタイプと全然違っていた
などといわれているし、そもそも5年にわたって淡々とテレビの取材を受け続けるのも大変だと思うのだが、そのあいだに自治会長までやっているわけで、一種の人徳みたいなものが備わっている。
「この人、40年にわたって自分を勘違いしていただけじゃないんだろうか」と思ってしまう。
ひとり大家族ドキュメンタリーのようなもの
この動画は、最初、引きこもりって大変だなあ・・とおもいつつ見始めて、最後は国近さんの人柄に惹かれてしまうという、
ひとり大家族ドキュメンタリー
というか、
ソロ・ビッグダディ
みたいな味わいがある。
彼にくらべれば、ぼくは「引きこもり」を発明することもできなかったし、したがって30年前のスーツも体に合わない。その代わり卒業証書をもらえたので「凡人の方が生きやすい」ということなのだろう。