田舎でどうしても耐えられないこと
今日のテーマはすばり「ボットントイレ」である。日本語で書くと「ぼっとん便所」だ。お食事中の人に迷惑なのでタイトルからは自主規制した。本日のおもな内容は
・もはやボットントイレには耐えられない
・日本にはまだまだボットンな場所が多い
・ボットンから名作映画を再解釈する
以上である。これで大丈夫な人は読み進めていただければ幸いだ。ボットントイレについて目の覚めるような情報をお届けする。
さて、クルマで山間部へでかけると田んぼと山の斜面のあいだにひっそりとたたずむ日本家屋を見かけることがある。またはフェリーで瀬戸内海を渡ると小さな島に数軒の民家がひっそりと立っている。
これまではそういうのを見るたびに「ああいいなあ。こういうところで暮らしたらさぞ仕事に集中できるだろうなあ」などと能天気におもっていた。しかし最近そのうちの1軒におじゃやまする機会があり、そんななまやさしいものではないことを思い知らされた。
まずは土砂崩れの危険性が高い。そしていつマムシにかまれるかわからない。このあたりも深刻だが、今日のメインテーマではないので割愛する。
さて、その上でへき地には水道が来ていない。つまりぼっとんなのである。ぼくはこれまでは田舎の家を「ぼっとん」という角度から考えたことがなかったが、日本には山間部や離島がおおく上下水道がとおっていないところは思った以上に多い。地デジが普及しても日本列島は「あちらもボットン・・こちらもボットン」なのである。そして久しく水洗トイレを使い慣れた人がぼっとんライフにもどるのはちょっとムリだ。
今日のトップ画像にかかげた家々もステキに感じるでしょう?しかしボットンなのである。山の中のペンションなどというのはおしゃれに感じるかもしれないがもちろんボットンだ。あからさまなボットンではなくいちおう水洗式に見えるようにしており、家の裏のタンクにてウンコをためておいてときどきバキュームカーに来てもらう。おしゃれなペンションはウンコをためているのである。どうです?目が開かれたでしょう?
あるいは山田洋次監督の『東京家族』という名作映画がある。四国の島に暮らす老夫婦が都会に住む子供たちを頼って上京する話だ。最後はみんなで島に集うんだけどひさしぶりに島に帰ったこどもたちはあっという間に都会にもどってしまう。一方、蒼井優さん演じる血のつながっていない「末っ子の婚約者」だけが親切にしてくれる。
映画を観ていると子どもたちはずいぶん薄情に見えるが、今にして思えばそんなことはない。島に水道が通じているはずがないから、あの家はボットンである。蒼井優さん演じる紀子はなんらかの理由でボットンに強かったのだろう。そして実の子である西村雅彦さんや中島朋子さんはぼくと同じくボットンに弱く、それに耐えられずに都会に帰るのである。そう解釈しなおせば十分に情状酌量の余地があるのだ。どうです?目が開かれたでしょう?
『北の国から』も、富良野市内は水洗だが、麓郷(ろくごう)はボットンに決まっている。つまりガッツさんは水洗なのに純はボットンなのだ。これはこたえただろう。
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