フリージャーナリストの見たウクライナ①
現在、ウクライナには、世界中からフリーのジャーナリストが入り込み、キーウ近郊やマウリポリなど、激しい戦闘のあった地域でYouTube配信を続けている。
彼らの多くはクラウドファンディングで資金を調達してウクライナに入り込んでいる。
なかには命を落とした人もいる。かれらの送ってくる映像を見ていると、西側の主要メディアの報道とあまりに食い違っていることに驚かされる。
ぼくは状況を判断する立場にはないので、動画をみたまま紹介しておこう。
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そうしたフリージャーナリストのひとりに元米海軍兵士のパトリック・ランカスター氏がいる。かれの証言は、最近ではBBCなどの主要メディアでも紹介されているようになったので見た人もいるかもしれない。
今日は、このランカスター氏の取材したマウリポリの状況をそのまま紹介する。氏の取材方法は、現場で一般市民に手当たり次第にインタビューするというものだ。
ウクライナ東部のマウリポリでは、4月13日にウクライナ軍とDPR(ドネツク)軍&ロシア軍のあいだで激しい戦闘が行われた。
ランカスター氏は16日に現地に赴き、生き残った市民にインタビューしている。
証言者は6人。取材時点では、6人全員が、ソ連時代に作られた地下核シェルターで避難生活を送っていた。
西側のメディアでは、「ロシア軍がマウリポリ市民を殺害した」と報道されているが、ランカスター氏が取材した人々は全員が「ウクライナ軍に攻撃された」と証言している。
彼らが嘘をついているかどうかは、上のYouTube動画をみてご自分で確認していただきたい。以下、証言の概要を紹介します。(ランカスター氏を「ラ」、住民を「住」と記します)
①二人の男性(姓名不明)
ラ「西側ではロシア軍が市民に発砲していると報じていますが」
住「いいやウクライナ軍だ。彼らが包囲して迫撃砲を撃ってきたんだ」
ラ「なぜウクライナ軍だとわかるのですか」
住「青い腕章をしてウクライナの旗を掲げていたからさ。かれらが道路を封鎖したんだ。市内にドネツク軍はまだ一人もいなかった。ウクライナ軍しかいなかった」
②Olga Vladmirovnaさん
この人は医療従事者で、ぎりぎりまで病院でケアに当たっていたとのこと。
住「銃を突き付けて建物から出ることを禁じられました」
ラ「ウクライナ軍ですか」
住「ウクライナ軍です。彼らが救急車を接収したためケガ人を運べず、足や手を失った人たちはボランティアの助けで病院に運ばれてきました。軍は助けてくれませんでした。」
住「彼らは"ドネツク軍"だと名乗りましたが戦車はすべてウクライナ軍のものでした。」
住「ウクライナ軍は病人やけが人の背後に隠れ、病院を人の盾につかいました。その後、ドネツク軍がやってきて、水や食料をくれ、けが人を運んでくれたんです。」
住「わたしたちはロシアに行きたくはない。私はウクライナ生まれのウクライナ人です。マウリポリにとどまりたい。すべてが終わるのを待っています。政治はどうでもいいので平和になってほしい。」
③11歳の少年
住「戦車が、ウクライナか、ドネツクか、ロシアのものかはわかりません。家を焼かれました。」
④Petrenko Alexey Viktorovichさん
住「13日にウクライナ軍(その多くがアゾフ大隊)がやってきて迫撃砲を打ち始めました。」
住「子どもに破片が当たり、妻と母は死亡しました。しかしガレージに置き去りでまだ埋葬できていません。」
住「アゾフは、最初にわれわれが軍人でないことを確認したうえで迫撃砲を打ち始めました。」
⑤Petrenko Valeria Alexeevnaさん
住「自宅にいるところを迫撃砲で撃たれて足を怪我し、がれきの下敷きになました。母と祖母は死にました。」
ラ「だれに攻撃されたのですか」
住「アゾフです」
ラ「なぜアゾフ大隊だとわかるのですか」
住「またドネツク軍は来ていなかったからです。私たちを攻撃したのはウクライナ軍でした。」
住「その後ドネツク軍がきて傷を手当てしてくれました。ロシア軍が水と食料をくれ、退避を助けてくれました。」
以上。