石原裕次郎の『黒部の太陽』
今日は映画『黒部の太陽』の感想である。
あまりに力の入った映画なので、リスペクトを払って1記事を割く。
「映画は映画館で観てほしい」という裕次郎氏の遺言に従って、この作品は長くTV放映もなくDVD化もされていなかった。
それが東日本大震災をきっかけにして日本中での上映活動が始まり、ブルーレイも発売されている。
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『黒部の太陽』リバイバルの知らせを聞いた時、ぼくは正直言って、まったく関心を持てなかった。
「どうせ石原プロの運動会だろ...」となめきった感想を持っただけである。
情けない。映画通をきどり、なめていた。
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黒部第四ダム工事を題材にしたこの映画の陰の主役は、フォッサマグナと呼ばれる断層地帯だ。
日本列島は一枚岩ではない。新潟と静岡を結ぶライン(糸魚川-静岡構造線)で二つに「ボキっと」折れている。これがフォッサマグナ。
この断層の左右では地質が全く異なる。黒四ダムの工事は、このフォッサマグナを貫通する難工事だった。
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いまフォッサマグナは当時とはまったく別の意味で、日本の陰の主役になっている。
この地帯で地震が発生してフォッサマグナがズレると、他の無数の断層に影響を与え、連鎖地震が起こる可能性がある。
フォッサマグナを貫くことで戦後日本の復興をアピールしようとした昭和30年代の日本人と、フォッサマグナをそっとしておきたいぼくたち。時代は変わった。
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作品の最大の見せ場はこの断層の貫通である。
実際の工事を担当した熊谷組のHPによれば、断層に遭遇した地点でトンネル内には
最大毎秒660リットルの地下水と大量の土砂が噴出し、掘削作業は中断せざるをえない状況に陥りました。人が吹き飛ばされるほどの出水と崩落する土砂。(黒部の太陽)
この状況が巨大なセットで再現された。
この場面は技術的困難さやセットの豪華さが語られがちだが、映画史的な意義もある。日本映画史ではなくて世界映画史だ。
狭いトンネル内で、ヘルメット全面に「吹き飛ばされるほどの出水」を受けながら石原と三船が数十分にわたって共演するシーン。
ぼくの見立てでは、このシーンがソビエトの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの中期の3作品『惑星ソラリス』、『ストーカー』、『鏡』に影響を与えているのはまちがいない。
放水と言えば、黒澤明の「七人の侍」が有名だ。大雨の中で行われる最後の決闘は、放水車三台を用意して水を撒いたというのが語り草になっている。
しかし『黒部の太陽』はあの比ではない。しかも、閉鎖されたトンネル内。天井からダクダクと落ちてくる水をひたすらかぶりながら、それを意に介すことなく石原と三船が延々議論する姿は、映画的なイメージとしてもシュールで異様なものだ。
先に上げたタルコフスキー監督の3作品には、トンネルの中や、屋敷の中でなぜか大量の水が天井から降ってくる。
タルコフスキーが黒澤の影響を受けていることは有名だが、『黒部の太陽』の影響も間違いなく受けている。
わずか34歳で、映画界のさまざまなしがらみを乗り越え、こんな映画を撮り切った裕次郎さんはスゴイ。
「石原プロの運動会」などと見下した自分が情けない。
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そんな裕次郎さんだが、晩年はテレビの勢いに勝てず、刑事ドラマのちょい役をこなす日々だった。
TVドラマ「太陽にほえろ」でいつもラストシーンに登場してオヤジギャグを発するあの「ボス」(ゆうたろうさんがモノマネしているヤツ)。
こんなすごい映画を作った後で「どんな気持ちでボスを演じていたんだろう」となどとつい思ってしまう。
でも、きっと現場のだれよりもスタッフに気をつかい、雰囲気を和ませながら、楽しく撮影していたのだろうと思う。
それでこそみんなに愛された昭和の大スターだ。
『黒部の太陽』一作で、石原裕次郎の映画人生は十分に報われていると感じる。この映画を観ることができてよかったです。
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