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リベラルは勝負に弱い

プロってなんだろう?

プロってなんだろう?
プロの定義ってなんだろう?

ということを考えてみた場合、やはり

それでご飯を食べられれば、プロ

というのが最初に浮かんでくる答えだ。

野球でごはんを食べられればプロ野球選手だし、将棋でごはんを食べられれる人がプロ棋士である。

その技でめしを食っているプロには、仕事に対して、アマチュアにはないきびしさがある。

このきびしさをプロ意識といっていいと思うけど、ぼくはそういったプロのきびしさに接するのが好きで、好意的に受け止めている。

勝負のプロ

とはいえ、そのきびしさを追い求めていくと、プロには別な定義もあるような気がするのだ。以下はあくまで私的な定義にすぎないんですけど、ぼくの考えるプロとは、

勝負のプロ

である。いわば駆け引きのプロだ。

最初の定義ならば、たとえばクルマが好きで、改造を重ねているうちに、メカニックの腕が上がって、結果的にプロになりました、というだけでもプロということになるが、2つ目の定義では、それだけでは勝負のプロとは呼べない。

ディーラーやら、チェーン店やら、さまざまな競合他社としのぎを削って、顧客の信頼を勝ち取り、生き残ったらそれがプロだという気がする。

人間を相手にしていく中で、勝利のセオリーを確立している人がプロだと思えるのだ。

リベラルは勝負師じゃない気がする

人間国宝や、神業のような腕を持つ心臓外科医は、もちろん尊敬する。

ただし、その人が、人間相手の駆け引きの部分をなおざりにしているなら、神の手を持つアマチュアだと思ってしまう。

まあ、ぼくがそう思っているというだけの話ですけど。
その上で、今日の結論は・・

リベラル知識人ってつくづくプロの勝負師じゃないな・・と最近思っているということです。その前に、野球の話をします。

ドラフト6位論

ぼくはドラフトの下位指名や、育成契約から上がってくるタイプの選手がけっこう好きである。それは才能以上に勝負強さでのし上がってくるタイプにおもえるからだ。

というわけで昨年のドラフト6位で西武ライオンズに入団した村田怜音(れおん)選手に注目しています。

彼のコメントを聞いていると、いちいち勝負のプロらしい意識が感じられて、この人は伸びるな・・と思わされる。

ところで、その意味では真逆なのがドラ1で「おかわり三世」と呼ばれて数年前に入団した某選手である。悪口を言う気はないし、がんばってほしいけど、練習風景やコメントから「子どもだな・・」と思わされることが再三あり、勝負のプロらしさをあまり感じない。

また、山川選手は、ホームランを量産しつつの下半身疑惑だったけど、「三世」は今季33打数1安打のわりに、文春でSNSナンパ疑惑を報道されたので、完全に下半身先行型となっている。

勝負強いコメント

さて、そこで6位の村田怜音選手なのだが、選手寮への入寮時には

自分はお酒も飲まないし、女の子とも遊ばない

と言い切っていた。その際には、丸坊主にしてきていて

髪は野球に必要ない

とも宣言していた。そこで記者がちょっと意地悪な質問をぶつけた。西武の先輩には、ロン毛で鳴らしている人々がいるけど・・と振られると

僕が有名になれたら、そういうのは考えたい

と軽くスカしていた。このあたりにも駆け引きのプロらしさが感じられて好感度アップだ。また2軍時代のコメントでも、

大学野球とプロ野球は別のスポーツ

と言っており、これもいい言葉だと思う。

さらに5月の1軍昇格後に「初打席で初ヒット」を記録したんだけど、これも初球のストレートを強振し、バットを折りつつレフト前ヒットに落としたところに、勝負強さを感じる。

彼はそのあとすぐ靱帯を損傷してシーズンを棒に振ったけれども、先日の契約更改では年棒がアップしていた。その際のコメントも良くて、ケガについて

ケガをする運命だったとしたら、一軍に出場した後のケガでよかったと思います

と言い切っていた。こういうコメントをする選手に「いいなあ」と思ってしまうんですよ。

さきほど村田選手の全打席を、楽天の見逃し配信でチェックしたんだけど、今後ケガさえ注意すれば、主砲に育ってくれると思います。

リベラルの勝負弱さ

そんなこんなで、村田怜音選手の勝負強さに好感を持つ一方で、痛感させられるのが、

リベラルってなんであんなに勝負弱いんだろう

ということだ。

先にちょっと経済の話をしておくと、よくマーケットでは、「自分の読みが正しいのであり、マーケットの方がくるっているのだ」ということを言うタイプの人がいるが、こういう人は例外なく勝負に弱い。

正しかろうが正しくなかろうが、そのようにマーケットが動いているなら、それが現実であって、その現実に順応して、勝ちに結び付けるのが勝負強さである。いくら正しかろうが負けてしまえば、その正しさはパイプドリーム(=夢想)にすぎない。

自分たちが正しくて、マーケットがオカシイと語っている人が、勝負に勝ったためしがない。

リベラルは500パーセント勝負弱い

では、政治について言うと、トランプもプーチンも勝負に強い。これは事実でしょう?「正しい、正しくない」以前に、彼らは勝負に強い。

ところがリベラルは、その強さを認める以前に、

彼らは正しくない

という。そして

彼らを支持している人々も正しくない

と言う。この姿勢は、マーケット的に言うなら勝負に弱い典型だ。

いかに負けるか

先週の記事でも、先々週の記事でも書いたと思うけど、勝ち方より負け方の方が大事である。勝負強い人でも負けることはある。

言い換えれば、負ける時に、いかに負けるかであり、失敗したあとのリカバリーの方が、勝利より大事だといえる。

自分の精神的、体力的ダメージをできるだけ減らしつつ、勝っている相手の気持ちや体力をいかに削れるかを考えるのが、勝負強い選手の負け方というもの。

だから、相手にどう攻めさせるかを考えるのが勝負強さの決め手になる。

ボクシングにたとえるなら、ダウンしたあとで、自分の体力を温存しつつ、一気に攻めてくる相手をいかに疲れさせるかを考えるのが勝負強い選手だろう。

ダウンした後で、あのパンチにはカウンターを合わせられるはずだった・・と言っている選手は、選挙結果が出た後で、本来はこうなるべきではなかった、などと言っているリベラルと変わらない。

相手に攻めさせる戦い方

世界が右傾化していく中で、リベラル勢力は、次の勝負ポイントに向けて、体力を温存しつつ、今、ブイブイ言わせている保守勢力に十分攻めさせて、疲れを誘わなければならない。そして、相手の勢いが止まってから締め上げる。

リベラルな人たちは、そういうプロの戦い方ををやったことがないのだろうか?

きっと、理想に向かって右肩上がりで進んでいくようなイメージしかもっていないのだろう。だから、こういうときの戦い方がわからないのかもしれない。

ところで、勝負強くあるには計算高いことが必要だけど、だからといってイヤな奴である必要はなくて、村田選手もナイスガイだと思います。

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