話の分かる人とは
かつて「ハナ肇とクレージーキャッツ」というジャズバンド兼お笑いタレントグループがいた。
リーダーはハナ肇さんといって、お笑いに転向する前は、渡辺貞夫さんなどとも演奏していたプロのドラマーである。そのハナさんの「豪邸問題」というのがワイドショーを騒がせたことがある。
ハナさん(施工主)が発注した自宅の見積もり額と、工務店側の最終的な請求額が数千万円単位でちがってしまったのだそうだ。いまネットを検索してもこのニュースは出てこないけど、当時テレビで見たのでまちがいない。
ハナさんの奥様があとであれこれと注文を増やしたせいで予算オーバーしてしまったというのが真相らしい。
うっかり注文を増やした奥様にも問題があるのだろうが、あとであれこれとオプションを売り込んできた工務店側にも問題があったのではないか。
こまかいことは当事者にしかわからないが、ハナさんと工務店の責任者が一度目の話し合いをした後で、双方が別々に会見を開いた。
このときのハナさんはたしかニコニコ笑いながらこう答えた。
一方の工務店側はこうだ。
そして、この豪邸問題はまもなくワイドショーから消えてしまったのである。
ぼくが中学生か高校生の頃だったと思うんだけど、それまで「ハナ肇」というと新春かくし芸の銅像のイメージしかなかった。
それが、一度会って話しただけで相手側に「話の分かる人だ」と言わせたのは大したものだと感心し、ずーっと記憶に残っているのである。
よく「愛が大事」といわれるがこれは半分はウソだとぼくは思う。本当に大事なのは頭の柔らかさだ。この世から争いごとをなくすために一番大事なのは「アタマのやわらかさ」である。
世の中が、ハナ肇さんのようにアタマがやわらかい人ばかりならば、戦争など起こらないし、富をめぐって争うこともない。
アタマの柔らかい人同士なら、すべての問題は話し合いで解決してしまう。かならず落としどころが見つかり、おたがいの言わんとするところが通じ合って、「なるほど、分かった」で終わるのだ。
しかし、頭の柔らかさは中学生くらいまででほぼ決まる。ぼく自身の経験から考えてもそうだ。すでに頭が固くなってしまった大人の考え方をやわらかくすることはだれにもできないので、その場合は、戦うか、愛に訴えるしかない。だから、世の中から争いごとや戦争はなくならないのである。
そして、愛と呼ばれるものはほとんどの場合、泣き落とし(同情)である。
「愛が大事」と言われるのは、「アタマの固い人には、同情に訴える以外に方法がない」ということを角の立たない表現で言っているだけだと思う。
「愛とは同情ではない」という人もいるかもしれないが、だとすればほかに何があるのだろう。柔らかさではないのか。真の愛とは、柔らかさとあたたかみを合わせたものではないのか。
そして、おとなのアタマを柔らかくすることができないなら、泣き落とししかないのだ。
さて、以上は、半分本気で、半分はデタラメを書いているのだが、これを読んで「なるほど、そうかもしれない」とすこしでもおもったひとは十分にアタマが柔らかいので問題ない。
一方、ここまで読んで「愛とはそんなもんじゃない!」「愛ってのはなあ・・」といきり立った人はアタマの固い人である。こういう人に対しては、おどしか、泣き落としをかける以外に平和への道はない。どちらになるかは中学生まででだいたい決まる。ラブアンドピース。