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けもの道を行きたい
高い建物の上から下を眺めていると、変な気分にならないだろうか。
ふと飛び降りたくなるような・・しかしそんなことはダメに決まっている。でもちょっと想像するくらいならいいだろう・・などと思っているうちに、しだいにわけがわからなくなってきてふと一歩を踏み出してしまいそうになり、あわててその場を去る。
あるいは、「押すな危険」と書いてあるスイッチがあったとしよう。
何のスイッチかわからない。
壊れているかもしれない。
押したらたいへんなことになるかもしれない。
どうなんだろう。ためしてみたい。
そうおもって、ふと押してしまいそうにならないだろうか。
ぼくが仕事を辞めたり、新しい世界に踏み込んだりするときは、いつもこういう感じである。
楽なほうを選んでいるのでもなければ、安全なほうを選んでいるのでもない。
飛び降りたらどうなるんだろう・・
スイッチを押したらどうなるんだろう・・
というのと同じで、「辞めたらどう人生が変わるのだろう」と思ってしまうと、辞めないではいられなくなるのである。
世の中には安定がすべてだという人もいるが、安定より自由やおもしろさを求める人もいる。これは価値観の問題なのでどちらがいいというものでもない。
人間関係もそうだ。
あまりにも平和な人間関係は息苦しく感じる。少々波風が立っているくらいのほうが言いたいことが言えて風通しがいいので、つい思っていることを言ってしまう。
このnoteも同じで、「書かないほうがいい」ということをおもいつくと、書かないではいられなくなる。
経済的にもそうだ。
定期的に一定の収入があると、枠内に閉じ込められるというか、どうにも不自由さを感じる。
ぼくにとっては、定期的な収入というのは自分の中の野生を鈍らせてしまう何かなのだ。は「来月も同じ金額が自動的に振り込まれる」と思っていると、油断が生まれ、つまらないことにお金を使ってしまっていた。
たとえば勤め人だったころ、レンタルビデオでTV版の『エヴァンゲリオン』を借りていたんだけど、第3巻が貸し出し中だった。すると待ちきれなくてDVDを全巻セットで買ったりしたのである。
ちょっと待てばいいだけの話なのだが、ついお金で解決するようになる。
そして、来月の月給ありきの生活設計をしていると、それ以外の生活を試してみる自由が失われていく。住宅ローンに縛られていくかのように、月給のある生活にからめとられていく。そういうのが嫌で辞めてしまった。
さて、いままた生計の立て方が変わりつつある。もしかすると働かないで食えるようになるかもしれないが、それで楽をしたいわけじゃないし、買いたいものがあるわけでもない。
新しい可能性が開けてきたので、そっちに行かずにはすまない感じなのだ。ボタンがあるので押さないではいられない。
安全な道はすでにたくさんの人が踏み固めているので、いまさら一人くらい路頭に迷ってもいいのではないか。そういう感覚なのだ。どうせ生まれてきたんだから、けもの道を行きたい。
これは性格によるものなので、いいとか悪いの話ではない。