
大人の心の中心には「硬い核」があるんじゃないか
ぼくは最近、NHK BSのワールドニュースを見ながらストレッチをするのが日課なんだけど、これはすこしでもカラダを柔らかく保ちたいからだ。
放っておくと硬くのはわかっており、抵抗したっていずれ硬くなるのもわかってはいるが、ささやかな抵抗をしている。
ストレッチしながら、世界の動向を探っており、たとえば、ベトナムでは「農家がワニに襲われて愛犬が食べられそうになった」とか、タイでは「ネットの求人サイトを利用した人さらいが増えている」など、世界の最新情勢を把握しつつ、カラダの柔軟性を増しているので一石二鳥だ。
ところで、ほうっておけば硬くなるのはカラダだけではなく、脳みそだって硬くなる。体の硬さは頭で把握することができるが、頭の硬さを頭で把握することはできないので、その分、警戒レベルを上げており、自慢じゃないけど危機感のカタマリだ。
アタマの固さについては以前に記事を書いたことがあって、「視野が狭くなることだ」というふうに考えている。(「頭が固い」とは「視野が狭い」ということ)
ところで、いまこの記事を探そうとしたらあいだに5か月分の150記事が挟まっていて、われながら「うぜ~こいつ」と思いました。。。
さて、頭も「硬い/柔らかい」とあっさり2分できないことはもちろんだ。クルマのハンドリングにたとえるのがわかりやすいだろう。
レーシングカーのハンドルには遊びがないので「感触が硬い」とも言えるけど、その分コーナリング能力が高いので「うごきが柔らかい」ともいえる。
一方、ロールスロイスのハンドルには優雅な遊びがあるとおもわれるので「柔らかい」と捉えることも可能だが、F1マシンのように急角度のコーナーを曲がることはできないので「硬い」とも言えるのである。
年をとると心にハンドルの遊びのようなものが増えるのは確かで、よく言えば人間が円熟してくるけど、その分コーナリング性能は落ちる。
若い心は短絡的で遊びがないともいえるが、あっという間に切り返すことのできる柔らかさがある。
以前、ユーモアの正体についての記事も書いたことがあるんだけど、そのとき「ユーモアの核心は多重人格にある」と書いた。(「ユーモアの正体についてぼくなりに考えてみた」)
この考えは今も変わっておらず、年をとった人のユーモアと円熟味のある人格を、ぼくは地球の内部構造のように思っている。
原始の地球は、宇宙に散らばったガスや塵があつまってできたのだそうだ。そうやってできた原始の惑星が若い人の心だとすれば、構造が単純で尖っていて傷つきやすい。しかしそれほどの固さはない。
それがたくさんの塵を巻き込んで成長していくとしだいに多層構造になっていく。経験を積んで大きくなった惑星の表層には緑豊かな大地や、大きな海が生まれるのでやわらかくなったともいえるけど、その分、内圧は上がり、一番の中心核は硬い金属になっているそうだ。
まだわからないことも多いらしいけど、ざっくり言うとそういうことらしい。
大人の心は成長した惑星みたいなもので、やわらかい地殻の下に幾層もの構造が詰み重なってその中心に硬い核がある。これが今日言いたかったことだ。
大人の心は、傷つけられないように時間をかけて幾層もの構造で大事な核を覆ってきたわけで、そうやって表層を覆えば覆うほど「聖域」は硬化していく。
この「聖域」に迫ってみたいと思ったんだけど、長くなったのでここまでにします。明日、書くかもしれないけど、しばられるとしんどいのでやめるかもしれません。ということで、それでは・・。