SNSの炎上について思うこと
低姿勢の人生
このnoteでは、もしかするとエラそうな人間みたいに見えているかもしれないけれど、ぼくの基本的な姿勢を一言で言い表せば、
ということに尽きる。デフォルトで低姿勢だ。とはいえ
というような立派なことではない。なぜなら、なにも実っていないからで、むしろ、エラくなっていないからこそ、低姿勢でいるより仕方がないというだけである。
という感じである。でも、ふつうはこうだろう。
エラくなって低姿勢でいられる人などそうそういるもんじゃない。いればそれこそ本物の人格者だが、そんな人はめったにいない。
暑い国で暮らしながら、寒い国で暮らしている人のたいへんさを想像しようと思っても限界があるのと同じで、人からヨイショされる立場にいながら、謙虚でいようと思ってもおのずと限界がある。知らず知らずにこうべが上がってしまうのが人というものだ。
ぼくが低姿勢でいるのは、エラくなっていないというだけである。
おっさんのデメリット
それに加えて、おっさんであるというデメリットもある。
しばらく前に「夏場の男性の匂いが苦手」という趣旨の発言をSNSでやって、契約解除になった女性アナウンサーさんがいたでしょう。しかし、ひごろ低姿勢で生きる「ワン・オブ・オッサン」であるぼくの視点で言えば、あれで炎上するというのが理解できない。
あのニュースに触れた時、まず頭に浮かんだのは
ということだった。なぜなら、男性の方がくさいのは生物的な事実だし、女性の方が嗅覚が鋭いのも事実だからで、たとえば、こういう記事があります・・
まあ、普段から気を付けてはいるんだけど、それでも外で運動して帰ってくるとどうしても汗くさくなるので困っている。
運動に出かける前にはシャワーを浴びるんだけど、それでも帰ってきたら汗だくにならざるをえない。そこでエレベーターで女性数人と乗り合わせたりなんかしたら、日ごろの低姿勢が
5割増し
に磨きがかかってしまう。くさいかもしれないけど見逃してくれよ~、という意味を込めて姿勢がさらに低くなってしまう。
そんな日常なので、女性アナウンサーから「くさい」と言われて怒る男性の気が知れない。
としか思わない。これは民主主義や言論とはカンケーない話だ。
もし石破さんや小泉さんが「ホームレスはくさい」と発言したら炎上するかもしれないけど、だれが総理になろうがホームレスはくさい。
これと同じで、どう理屈をこねようが男はくさいのだ。倫理がどうの、民主主義がどうの、侵攻と越境攻撃のちがいがどうのと言われても、クサい男はクサい。
他人のふり見て我が振り直せ
そもそも、クサくない男性は、クサい男性を日ごろ「他山の石」として、自分がそうならないように気を付けているからクサくないわけで、そういう人は、〇口アナの発言に対しても「うん、気を付けよう」と思うだけで、怒ったりしない。つまり、クサくないヤツは、あの発言には怒らない。
あれに怒っているということは、そいつこそクサい奴である。
アナを契約解除した事務所は「言葉は誰かを傷つけるためにあるものではなく(中略)言葉を扱う仕事に携わる者としてあってはならない」ので契約解除したと声明文を出していたけど、「言葉を扱う仕事に携わる者」がどうあろうが、クサいやつはクサい。なので、あの発言に傷ついた奴に対しては、
と言いたい。〇口アナが辞めようが辞めまいが、それであんたの臭いが消えたりはしない。たとえ1億回謝罪されても、
と。でも、シャワーを浴びれば消える。傷つきたくなければ、さっさとくびすじを拭こう。
SNSでの炎上について思うこと
イエス・キリストとかブッダとかそういう存在は別格として、明治・大正・昭和・平成・令和あたりを生きていた日本人の中で、ぼくがこころから尊敬している人は、いまのところは、塩沼亮潤大阿闍梨と、中村天風先生のふたりである。
前者は、熊野で修行し、後者はインドの山奥で修行した人なので、考えが異なっていても不思議ではないはずだけど、言っていることに共通点が多い。
たとえば、お二人の共通点の1つに、
というゆるぎない姿勢が挙げられる。言いかえれば、
ということである。これは実にシンプルなことで、
ということだ。
これは、SNSにおける、あらゆる炎上さわぎに当てはまる。「民主主義における批判の役割がどうのこうのこうの」とゴタクを並べて反論する人がいるかもしれないが、どれほど他人を理路整然とこき下ろしても、あんたの臭いは消えない。
これは当然、ぼく自身にも当てはまることで、ここで他人を批判するだけなら、この文章にも意味はない。
ぼくは凡人なので、たまに他人批判をやってしまうことがある。しかしそれについて天風先生はこうくぎを刺していた。
凡人の言い草に逃げることなく、炎上を自分の鏡として、今日より明日はわずかでもよくなるように、心してやっていこうと思います。炎上とは自分を映す鏡である、というのがぼくの考えです。