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心を安定させたいときにぼくがやること

「パチンコ店に入ると落ち着く」という人がいる。あんな光と音の洪水の中で心が落ち着くというのはぼくには考えらないが、しかし、「落ち着く場所を求めている」という気持ちはわかる。

落ち着くというのはだれにとっても大事なことであり、条件は人によって異なるけど、「こうすれば落ち着く」、「ああすれば落ち着く」というその人なりの生活のノウハウのようなものが誰にでもあり、それにあわせて自分を落ち着けることで、あわただしい日々をこなしているのだろう。

落ち着きすぎるのもよくない

一方で、あまり落ち着きすぎると刺激がなくなり、進歩しない。落ち着かない状態もときには必要で、プロフェッショナルとよばれる人々の中には、意図的に自分を落ち着かない状態に追い込む人もいる。

たとえば、いまプロ野球のキャンプが始まっているけど、西武ライオンズの山川穂高選手は、志願してサードの守備練習をやったのだそうである。この人の本職はファーストで、今後も「ファースト一本で行く」つもりなのだそうだからポジションを変えるためではない。

「ファースト、慣れてるじゃないですか。慣れたところより慣れないところをやるとまたこう、フレッシュな気持ちで臨めるので。僕、今日、シートノック緊張してたんで。これ面白いなと思って」

慣れが生じるとフレッシュな気持ちが薄れてくるので、それを避けるためにあえて不慣れなサードで練習したということらしい。

山川選手ならではの工夫だといえるが、こうやって野球に関してはいろいろ工夫しているけれど、逆に日常生活を変えることはすごくイヤなのではないかと思う。

なぜかというと、山川選手は球場から歩いて5分のところにの住居を構えているからだ。これは、通勤という不確定要素にとらわれないで、野球一本に集中するための工夫といえるだろう。

野球では自分を落ち着かない状態に追い込む一方で生活からは一切の不安定要素をなくす。

サンドボックス的な生き方

これは、サンドボックスと呼ばれるやり方に似ている。

サンドボックスとは、文字どおりは「砂の箱」ということで日本語なら砂場と呼ばれているこどもの遊び場のことだ。こどもは砂場限定で好きなように遊びまわることができるが、一歩砂場を出たら勝手に山をつくったり穴を掘ったりしてはいけない。

山川選手は、一歩グラウンドを出たらしっかりと生活を安定させているからこそグラウンドという限定された環境内で意図的に自分を不安定に追い込めるのだと思う。

ぼくも考え方が割と似ており、なにもかもがぐちゃぐちゃになるのは困る。砂場の内と外の線引きをしっかりつけて、内側ではおもいっきり羽目を外してもいいけど、外側ではきちんとしていたい。

ところが人生というのはそんな具合にうまくいくようにはできていない。えてしてトラブルというのは、砂場の外で起こるのだ。

砂場の内と外を逆転させる

山川選手も、グラウンドの中で慣れないサードを守る不安感はパフォーマンスの向上につながるけれども、外側の生活がぐちゃぐちゃすると困るはずだ。たとえば浮気の現場をメディアにスクープされたりしたら、とたんに打率が落ちたり、エラーしたりして成績不振につながるだろう。

ぼくもいわゆる「砂場の外」でトラブルに巻き込まれて、生活がぐちゃぐちゃになりそうな時があるんだけど、そういうときには、意図的に砂場の内と外の線引きを裏返して対処することがよくある。

外側のトラブルを囲い込んで内側にしてしまう。たとえば、かりに野球選手がスキャンダルに巻き込まれた場合、そのスキャンダルを砂場にしてしまう。

あらゆる不確定要素が起こる場所を砂場の中に限定して、その外側は一切いじらないように境界線を設定しなおすのである。

つまり、グラウンドの内と外を逆転させて、グラウンドの中だけはいっさいいじらないようにし、ルーティンが支配するし安定した落ち着いた空間にする。そうやって、外側のぐちゃぐちゃを「砂場の中」に追い込んでしまうわけだ。

ぼくはそうやって自分の心の安定を守るタイプである。

どちらが内側の領域でどこが外側かが大事なのではなくて「境界線を維持すること」が最重要だと考える。自我というのは、何か中心のようなものがあるのではなくて、内側と外側の境界線を設定することではじめて内側というものを確保できるのだと思っているので、境界線さえしっかり設定してやれば、内側を確保することはできる。

いまぼくは生活の様々な局面でトラブルに巻き込まれる生活を送っているのだが、だからこそ自分の部屋の中だけは普段よりもさらにきれいに片づけている。そうすることで、部屋の外側で起こるトラブルに対処している・・・ということなのだろう。理屈で言うとそういうことになるのだと思う。

最近、心の安定している日と、何もやる気になれない日が交互にやってくるので不思議に感じていたのだが、どうやらそういうことらしい。

いま、実家に帰っており、部屋の中が乱れていると耐えきれないようなブルーな気分になるのだが、きちんと部屋を片付けた日は心が安定する。最初はなぜなのかわからなかった。ふだんこんなことはなくて、部屋の中は結構カオスになっていても気にならない。

生活が安定している時には、ことさらに部屋の中にカオスを持ち込んだりもするのだが、いまそういうことはいっさいやらない。

最初は、「掃除すると気持ちがいいのかな」と思ったがどうやらちがう。外がカオスなので、部屋の中だけはコスモスにして秩序を保つ。そうやって乗り切ろうとしている自分に気づいた。

境界線を設定しなおして、外側のカオスをその中に囲い込むことで、心の安定とモチベーションを保っているらしいのだ。

世界を囲い込むと気持ちが安定する

もしかすると、引きこもりの人も同じなのかもしれない。自分が狭い部屋の中にとじこもっているというより、外側のカオスな世界を狭い空間に押し込めることで、逆に部屋の中にミクロコスモスを作り出し、そこで生きているのだろう。

こどもが宝箱をつくったりするが、あれも同じではないか。箱のなかにはガラクタしか入っていないのだが、大事なのはそこではなく、内側と外側の境界線を引き、じぶんしかのぞくことができない聖域を作り出すことにポイントがある。

いま、心が安定していないと感じる人は、生活のどこかにこういう宝箱のような場所を設定して聖域を作り出せば安定するのではないだろうか。ぼくはそうやってなんとかやってしのいでいるので、やってみる価値はある。

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