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「ネット政談家」の特徴がややわかってきたかも
お医者さんになる人
お医者さんを目指す人がなぜ目指すかというと、医者の家系だったとか、医者の社会的地位が高いからとか、いろいろあるだろうが、そのうちの1つに、
幼少期にお医者さんに助けられた
みたいなパターンもあるだろう。「自分もああいう人になりたい」と思ったわけだ。あるいは
病に倒れた家族を治せるようになりたかった
というのも似たようなことで、「助けられる人になりたい」ということであり、自然な動機だと思う。
心理カウンセラーを志す人
おなじことはメンタルヘルスについても言える。
心理学部を志望する人や心理学を仕事にしている人で、ぼくのしっている人の大部分がメンタルに問題を抱えている。
今かぞえても20人以上思い浮かぶのだが、そのうち「そうでない」(=メンタルで苦しんでいない)人は2人しかいない。そしてその二人は臨床心理学ではなくて、実験心理学の人だ。
実験心理というのは、ねずみに迷路を辿らせたりしている人たちなので、この話からは除外した方がいいかもしれない。そうすると、心理学を志す人の大部分がメンタルで苦しんだことのある人ということになるが、これもわかる話である。
自分がメンタルで苦しんでいるからメンタル系の本を読むのだし、カウンセラーに助けられて経験があるから、自分もカウンセラーを志すのだろう。お医者さんに助けられた人が、お医者さん志すのと変わらない。
医者と違って「心理学の家系に生まれた」とか、「社会的地位が高いからカウンセラーを志す」などという人がいない分だけこの割合は高くなる。
さて、ここまではよく知られた話で、ちなみに、ぼくがアメリカで通っていた大学は、心理学部だけがハーバードやスタンフォードより格上という所だったので、余計にわかる。「心理学部志望のアメリカ人」には、メンタルのおかしな人が多かった。
そして、この手のことはほかにもいろいろとあてはまる気がする。たとえば、女性学をやっている人の多くが、女性として理不尽な経験をする中で性に関する勉強を始めたタイプのように見える。
社会に物申すのはどういうタイプなのか
では、そこからさらに進んで、
民主主義がどうたら・・
社会はこうあるべき・・
みたいなことをネットでやたら言いたがる政治志向の人はどういうタイプが多いのかが最近わかってきた気がするので、書いてみたいのだが、その前に
他人のことをとやかく言う前に、おのれのことを言わんかい!
といわれるのはもっともなことだ。なので先に「文学に手を染める人間がどういう人種なのか」を書いておきたいと思う。文学に手を染める人間は、ズバリ
イヤなことがあると作品の世界に閉じこもるタイプ
である。ストレスがたまると、問題を解決するよりは小説の中に逃げ込む。映画やアニメの世界に閉じこもり、マンガやゲームの中に逃げ込むタイプも同類といえるだろう。
ぼくがそのタイプであり、似たようなタイプは腐るほど知っているので、これはまちがいない。
この手の人種は、人と対立するよりは映画を見て気分をまぎらわせようとするし、社会を変えるよりは、小説を読んでスッキリしようとする。建設的ではないが、おだやかな人々である。
では社会に物申すのはどういうタイプなのか
ここ数年、「民主主義がどうたら」、「右がどうたら、左がどうたら」とネットでもの申す人たちにリアルでお目にかかる機会が増えたのだが、興味深く観察させてもらっている。
その結果、どうやらまちがいないと思えることがあって、それは、「ネットで声高に政治的主張をする」人はえてして、
社会とうまく行っていない
ということだ。主張が強すぎるから社会と折り合いがつかないのか、それとも折り合いがつかないから声高に主張するようになったのかはわからないけど、少なくともそういう人は、かなりの割合で対人コミュニケーションそのものがおかしい。なので
〇〇主義だの言う前に、目のまえの人との会話のキャッチボールをちゃんとしろ!
と、言いたいところをぐっとこらえたことが数えきれない。
要するに「ネトウヨ」みたいなものだろ?
と言われてしまえばそれまでなのだが、たしかにそうである。
他人にキツく当たるタイプ
しばらく前に、芸能人の不倫にキツく当たることで知られる芸能レポーターの不倫が発覚したことががあったが、あれに近いものを感じる。
自分の問題から目を背けるエネルギーの反作用で、社会にキツく当たっている感じが似ている。
ネット政治評論家みたいな人にかぎって、そもそも対人コミュニケーションがうまくいっていないということに、確信を深めつつある今日この頃です。