政府が勧めるものは、疑ってかかれ
えてして10代の頃の若者というのは
みたいなことを思いがちだ。すくなくともぼくはそうだった。
でも、やがて自分がその「汚い大人」になってしまうと、そんなことは思わなくなる。自分も同じだとわかるから。
ただし、大人になったから汚くなったのではない。10代のころから汚くて弱かったのだが、そのことに気づいていなかっただけの話だ。
つまり、思春期の頃は、
と気づくから、そういうことを言わなくなるのである。僕だけでなく、みんなそう気づいた時期があったはずだ。そうでしょう?ねえ?
罪を憎んで人を憎まず
という言葉があるけど、世間で不祥事や事件などが起こった場合も、おおむねこのスタンスで見ている。
たとえば、飲酒運転で悲惨な事故が起こった場合、被害者のことは心から気の毒だと思う。ほんとにそう思うけれども、だからといって、加害者が極悪人だとも思わず、運が悪かったのだろうと思っている。
ちょっとした気のゆるみだったのかもしれないし、アルコール依存症だったのかもしれない。
ぼく自身がこの先アルコール依存症にならない保証はなく、そうなった場合にうっかりハンドルを握らないともかぎらないわけで、実際、そういう人は世間にたくさんいるはずだが
だけだ。そう思う。
有名人も同じ
よく有名人や政治家が失言してSNSで責められてますよね。あれも同じだと思っている。
ぼくだってうっかりつまらないことをしゃべることはあるので、有名人だってあるだろう。なので、責める気にならない。
不倫も同じで、時と場合によっては、自分だってよろめいてしまうこともあるんじゃないかなあと思うので有名人だってあるだろうなと。なので、責める気にならない。
性ふつう説
ぼくは、世間の一人一人のことを
くらいに思っているわけだ。これは性善説でも性悪説でもないので、そうだなあ、なんといいますか・・
みたいなものかな。大半の人間は極悪人でもなければ。たいした善人でもなく、ぼくと同程度の普通のやつばっかだろうと思っている。
SNSも同じ
なので、SNSで誹謗中傷を受けて自殺した有名人もぼくと同じ程度のふつうの人だと思っている一方で、誹謗中傷をやらかしてしまった側の人も極悪人というよりは、ぼくと同じ程度の普通のやつなのだろうと思っている。
SNSには、ふつうのひとがいっぱいいるだけだ。にもかかわらず、誹謗中傷が起こるのは、SNSというものが、そうなりやすい場所だからだと考えている。普通の人間の悪い面を引き出しやすい場なのだと。
クルマに乗ると狂暴になる人がたまにいるけど、これも同じで、その人が凶暴だというより、クルマという機械が、ふつうの人の凶暴さを引きずり出しやすいマシンなのだろうと思っている。
政府が勧めるものは疑ってかかれ
話は変わるが、ここからが本題だ。
先日紹介したエスパー小林さんの『大予言』という本の中に、心に残るくだりがあったので紹介したい。
という問いに対して、小林氏はやれともやるなとも明言せずに、こう答える。
と。同感だ。
だが、政府には優秀な人が多い
ただし、官僚が無能だとか霞が関はバカばっかりだのとはまったく思っていない。
世間のせまい僕にも、元官僚の知りあいがおり、しかも相当出世した人がいるんだけど、相当すごい。一線を退いた今でも、日本を元気にしようと草の根活動やエンジェル投資に奔走し、人当たりもよく、温厚で、話も分かって頭もイイ。
霞が関には、きっとこういう人がたくさんいるのだろうなあ・・とおもっている。にもかかわらず、「政府の勧めるものは疑ってかかれ」なのだ。
戦前の日本軍にも、ものすごく立派な軍人さんはたくさんいたはずだけど、でも、ああいう戦争は起こった。
これは一人一人の資質の問題というより、大組織という場が、SNSやクルマと同じように人間のダークサイドを拡大しやすいシステムになっているからそうなるのだろうと思っている。
権力や上下関係に向き合った時に出てしまう人間の弱い面は、ぼくもあなたも持っているわけだが、それが拡大されて出てくる場所が巨大組織なのだろう。
なので、ぼくは官僚というのは上記のTさんみたいな人がいっぱいいる世界だと信じている一方で、小林さんの意見に賛成だ。