否定するのは、尊敬することと似たようなこと
西武はドナドナド~ナ♪
ロッテ出身のキャッチャーに里崎智也さんという人がいるけど、WBCの優勝キャッチャーでもあり、日本を代表する名捕手といえるだろう。
その里崎さんは現在YouTuberもやっており、鋭くかつ本音のトークで人気が高いんだけど、今年のプロ球ドラフト会議の感想もいちはやく発信していた。
彼は「埼玉西武ライオンズのドラフト戦略はすごい」と毎年繰り返しているが、今年もそうだった(以下抜粋)。
こんな風に大絶賛していたけど、ただし続けて
とも言っており、しっかりネガティブも指摘するあたりが里崎さんらしくて、ぶっちゃけていてイイ。
じっさい西武は育てては売り、育てては売るのくりかえしで、ドナドナド~ナ~ド~ナ~♪な球団だ。
売られていくよ~♪であるからして、せっせと育てなければならないので、くじ引き上等で獲りにいくのである。さて、ここからが本題だが、先週の続きで、否定感情の話。
野球選手に「チッ・・」と思わない
「人間は、新しい才能が世に出ると嫉妬し、足を引っ張りたくなる生き物だ」ということを先週書いたんだけど、ただしその否定感情の大きさは、分野によって個人差があるとも思う。
たとえば、野球をがんばったけれど報われなかった選手たちは、ドラフトでスポットライトを受けている選手に対して若干
と思う気持ちがあるだろう。
野球選手だけではない。カバディやハンマー投げなど、がんばってもなかなか報われない分野で結果を出した選手たちも、入口で億単位の契約金をもらうプロ野球選手に対して
とおもったりするだろうし、そういう選手が5年後にひっそりと退団していたりすると
などと思うかもしれない。ただし、それはこれまでがんばってきたからこその「チッ・・」なわけなので、それはそれで貴重な「チッ・・」である。
ぼくはどんな野球選手が出てきても「チッ・・」とかんじたことはなく、どんなすごいボクサーやサッカー選手が出てきても「すごいなあ・・」としか思わないが、それは運動を頑張ってきていないからだ。
中学・高校の体育で「3」しか取ったことのないヤツは、脚光を浴びているプロ選手に対して、
とも
とも思わない。
作家には「チッ・・」と思う
ただし、作家とか、文科系の研究者など、新進気鋭の人がにわかに注目を集めていたりすると、
と思うことはよくある。0.5秒後には「いやいやいや・・」と反省しているので実際は、
となっているわけだが、50代になっても、この「チッ・・」はなくならなず、先週書いた通りに人生が「チッ・・いやいやいや・・」「チッ・・いやいやいや・・」の繰り返しでできている。
そして、先週の記事を書いた後にも、以下のサムネイルを目にしてやっぱり一瞬「チッ・・」となったのだった。
これを見て「ふーん・・さすがに先生様になると語るね」などと一瞬反感を覚えたが、直後に「イヤイヤイヤ・・記事を書いたばかりなのに進歩がない」と思い直して、クリックして、読んだら彼の凄さに打たれた。
小川哲氏のキチガイぶり
記事の中で小川さんは、スタインベックというアメリカ作家を
とさりげなく言っているが、これを見て、タランティーノがかつて
と言っていた時と同じ衝撃を受けた。タランティーノは「こいつ映画のキチガイだな」と思ったけど、小川さんにも同じことを思う。小説のキチガイだ。
これが、「フィッツジェラルドの全著作を読んでいます」 だったら、ぼくは
くらいに思ったことだろう。しかし時代遅れの作家とみなされて久しいスタインベック。いまどき読む人は少なく、読んだとしても『怒りの葡萄』がせいぜいのスタインベックを全著作。
小川さんは、タランティーノが映画を見まくったくらいには小説を読みまくっているはずで、だから、世間が『ポリスストーリー3』をどれだけ軽く見ていようとタランティーノには気にならないように、世間がスタインベックを忘れようが忘れまいが、小川さんの惚れこみには関係ない。
そんな小川さんの書く小説家には、タランティーノの映画と同じくワンアンドオンリーの味わいがあるはずだ。
ぼくは里崎さんのさりげない一言で彼のすごさはわからないからチッと思うこともないんだけど、小川さんの一言では、かれのおそろしさがわかる。おそらくそれは、チッと思うということと背中合わせなのだ。
否定することは、尊敬することと似たようなことだと思う。