思い出は同世代で撮った記念写真のようなもの
何事にもガツガツしない世代
昨年の9月にマンガ家の石井いさみさんが亡くなった。享年80。代表作は『750ライダー』(ナナヒャクゴジュウ・ライダーではなく、ナナハン・ライダー)。
かれが活躍したのは1970年代なので知らない人がほとんどだろうが、『タッチ』のあだち充さんもアシスタントをしていたという知る人ぞ知る青春ラブコメの元祖みたいな方である。あだちさんは、単にアシをしていただけではなく相当量の代筆もやっていたそうだ。いまウィキペディアで知った。
2020年には『釣りキチ三平』の矢口高雄さんもなくなったが、石井さん、矢口さん、あだちさんといったあたりは親交が深かったらしく、少年サンデー人脈のようなものを感じてしまう。
あだちさんご本人のインタビューによれば、あだちマンガは
そうだが、石井作品にも矢口作品にも似た雰囲気はあった。ぼくは『タッチ』に深い影響を受けているんだけど、そのまえに『釣りキチ三平』や『750ライダー』からもかなりの影響を受けている。
3つに共通しているのは、うわべは一見ガツガツしていないようで、ウラでしっかりガツガツしているところである。アニメ『オネアミスの翼 王立宇宙軍』にも同じことが言えて、主人公は一見無気力なんだけど
になってしまうあたりが同じだ。これはオウム真理教が見た目バカっぽかったにもかかわらず、テロの歴史に残る事件を引き起こしてしまったこととも共通点がある。
語らない世代
いま実家にいて、手元に『750ライダー』の1巻から4巻があるんだけど、復刻版ではなくて当時のものである。第1巻の奥付をみると
と書かれているので、1977年に買ったのだろう。よく残っていたものだ。
とはいえ、『750ライダー』にしろ、『釣りキチ三平』にしろ、『タッチ』ちにしろ1970年代後半から1980年代前半の話であり、いまなにを語っても昔ばなしになってしまうと自覚しているのであまり語らない。
矢口さんが亡くなったときにはさすがにご遺族のツイッターにレスを入れたのだが、ここに書くつもりはなかったし、石井さんが亡くなったときにも「ああ・・」と思っただけでなにも書いていない。
とはいえ、石井さんが亡くなった当初、ネットの掲示板を読むとさかんに当時の思い出が語られていて、うれしくなった。おもな話題としては、
といったことで、前半のイメージを強く持っている人と、後半のイメージしか知らない人たちが平和に語り合っていたが、ちなみにぼくは前半のイメージが強いタイプだ。
前半と後半をわかりやすく示した画像が見つかったので紹介します。
『あしたのジョー』の前半がマンガタッチで、後半が劇画タッチになっているのと裏返しの現象だといえるが、それはともかく、これだけたくさんの人たちが『750ライダー』の思い出をもっているということが意外だったし、うれしかったし、心強かった。こういう話をふだんネットで見かけることはほとんどないから。
ぼくもふだんは胸にしまっているんだけど、ほかの人たちもどうやらそうらしく、おぼえている人がいないのではなくて、たくさんいるんだけど、ふだん語らない。
それはもちろん
みたいな感じにとられるのがイヤだからである。それはほかの人たちも同じらしくて、なんとなく避けている。
もうすこし上の世代になればネットで語り合う習慣自体がないのかもしれないが、ぼくらにはある。しかし、本格的にネットに軸足を移して活躍している人たちよりはやや年を食っているという微妙なところだ。
思い出は同世代で撮った記念写真のようなもの
「世代論」、「世代語り」は不毛で、むしろ有害だという話もあって、これは文化的ステレオタイプ(cultural stereotype)が差別や偏見の原因になるのと同じことだろうし、その通りだとおもう。
「黒人だからバスケットがうまい」みたいな偏見が差別につながるように、「いまどきの若い人が繊細だ」みたいなことを言っても意味がない。小学校にいくことを拒否するような、ぼくらのころには考えられなかった神経の図太い人もいるわけだから。
ただし、子ども時代の写真がだれにとってもだいじなように、
というのは、同世代で撮った記念写真みたいなものだ。こうして語り合う人がわらわら現れると失われた記念写真が見つかったみたいで、単純にうれしい。
と思うとうれしいのである。ネットの移行期にやや乗り遅れた世代特有の感慨かもしれないんだけれども。