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なんのために生きていると思いますか?

どうも、こんばんは!
おおげさなタイトルになってしまいましたが内容はいたって謙虚です。

さて、ぼくは、人の話を聞くのは好きだけど、自分の質問に答えてほしいという欲求がほとんどない。

これは、相手が誰かには関係がない。そして、ただなにも浮かんでこないだけであって、それがいいこととだも、悪いこととだも思わない。

たぶん、人に聞いて答えが得られるような質問は、すでにどこかでだれかが答えているはずなので、丹念に検索すれば、だいたいどこかに書いてあるというスタンスなのだと思います。

それでもなにか1つくらい人に聞きたいことがないだろうか?としばらく腕を組んで考えた。その挙句に、1つだけかろうじて浮かんでくる問いがあって、それは

なんのために生きていると思いますか?

というものだ。どうしても聞きたいというほどではないけれど、あえていうならこれくらいしかおもいうかばない。

人は何のために生きていると思いますか?

という一般的な意味にとってもらってもいいし、

自分はなんのために生きていると思いますか?

という風に自分に引き付けてもらってもいい。

「わかりません」

それで思い出したことがある。ぼくがこれまでの人生で一番影響を受けた人のことだ。

この人は何十年もかけて、世界をめぐって、サイキックや占い師に、膨大な数のフィールドワークをしている。

そして、コレと思えるような能力者に出会うたびに「人はなんのために生きていると思いますか?」という質問をぶつけてみるのだと言っていた。そうすると、本物の人ほど、

わかりません

と答えるのだそうだ。一方で、たいした力のない人にかぎって、人生の意味はああだこうだとうんちくが多いらしい。

超絶的な能力の持ち主というのは、さそいろんな人の相談に乗り、人に言えないような不思議な経験も味わい、さまざまなことを見聞きしてきたはずだが、そういう人に限って「わかりません」になる。

こういう含蓄の深い「わかりません」を念頭に置きながら、それでもあえて、

何のために生きていると思いますか?

と聞いてみたい。徳の高い能力者がわかりませんといっているのだから、まあ、答えはないわけですよ。

だからこそ、あえて人に聞く価値があるというか、検索しても意味のないことだからこそ、各人各様の答えを、聞いてみたいと・・まあそういう風には思います。

ぼく自身の答え

ぼく自身の現時点での答えを書いておくと、その人その人の生きざまに、その人なりの答えが現れているという風に思っている。生きざまというとカッコいいけど、要するに

しくじり

だ。かつて「しくじり先生」という人気番組があったけど、各人各様のしくじり方の中に、その人独自の味わいがあって人気だった。ぼくも、生きるというのは、

いかにしくじるか?

だと思っているので、人のしくじりを見聞きするたびに「いいなあ」と思うし、そこにその人の生きる姿勢みたいなものがにじみだしていると感じる。

最近、いくつか良いしくじりを見聞きしたので、具体的に書いてみたい。

けが人が出なかった

埼玉県の49歳の男が自民党本部に火炎瓶を投げつけて、その後、国会にクルマで突入しようとした事件があったでしょう。

これはゆるされざる暴力みたいに報道されているけど、ぼくは「いいなあ」という思いが強い。

模倣犯を生み出すかもしれないという部分は危険だけど、それはさておき、こういう風に怒りのはけ口を見つけようとする心理はだれにでもあると思うんですよ。

だから、他人ごとではないというか、うまくいかないときに自暴自棄になる心理は「わかるなあ・・」と言いたくなる部分もある。

その上で、今回の事件で一番よかったのは

けが人が出なかった

という点だ。火炎瓶を投げつけた上で暴走したのだから、一歩間違えれば京アニのような惨劇になっていたかもしれないし、秋葉原通り魔のようになっていたかもしれない。

ちょっとお酒を飲んでハンドルを握っただけでも、ひき逃げ犯人になって、二度と償えない過ちを抱える人もいるというのに、火炎瓶を積んだ車で国会に突っ込んだたにもかかわらず、だれ一人傷ついていないし、軽傷者すら出ていない。

これを単なるラッキーと受け取ることもできるだろう。ただ、あくまでぼくの思い込みとして、人は自分のやったことが自分に返ってくることが多いものだと思っている。なので、まだ彼には救いようがあるから、助かったのではないかという風に見えてしまう。

この人はどこかしら救いようのある人で、なにかしら心の中に魅力のようなものを持っていたからこそ、それが周り回って「けが人ゼロ」という、いくらでもやり直しがきく結果として返ってきたのではないかと。

実際、公務執行妨害だけですから・・。けが人ゼロで初犯なら、執行猶予がつくかもしれないし、かりに服役するとしてもそう長くはないだろうから、このしくじりは、一皮むけるチャンスではないだろうか。

もちろん、この先、彼はさらに被害妄想を強めて、より深く政治家を恨むようになるかもしれない。でももしかすると、今回これだけのことをやらかして、ようやく自分のこころを見つめることができて、その稚拙さに気づき、やり直そうと強く思って、人生の転機がおとずれるかもしれない。そういう前向きのしくじりかもしれないと思って見ている。

なので、この事件には「埼玉49歳男」の味わいというか、生きざまが出ているような気がして、おもわずいいなあというか、人ってなんで生きているんだろうなあ?ということをあらためてしみじみと思いました。

車いすでリングに上がる天龍さん

ぼくの少年時代にヒーローだったプロレスラーの天龍源一郎さんが、いまでは車いすに乗ってリングに上がっているそうだ。

車いす生活になっているのは、プロレスラー時代にムリをしすぎたからだが、それは、彼の語るように、レスラーとしてのプライドでもあり、器用に立ち回れなかったからであり、そして、しくじりでもある。

カラダのタフさを売りにしていたレスラーが車いすに乗っている姿をさらけ出すのはそうとう覚悟がいるそうだ。

それでも、数年前に猪木さんが車いすに乗る姿をさらけだしているのを見て、「この人はほんとうにすごいなあ」と思い、自分もさらけだそう、プロレスが甘くないという部分も観てもらおう、という風に考えが変わったと語っている。

その意味ではやはり猪木さんはすごい。いろんな意味でしくじりだらけの人生だったと思うけど、そのしくじりをさらけ出して、それで人を元気づけていた。

その意味でも、やはり猪木さんはチャンピオンで、その姿を意気に感じて、車いすでリングに上がる天龍さんもやっぱりぼくのヒーローだ。

どれだけしくじった姿をさらけ出せるか大会

ぼくの考える生きるというのは

どれだけ良いところを見せるか大会

ではなくて

どれだけしくじった姿をさらけ出せるか大会

である。そして、猪木さんも天龍さんも同じ答えを出した人のように見える。

答えの1つにすぎない

でも、これは答えの一つにすぎず、能力者が「わからない」といっているのだから、究極的にはわからないのだ。まったく違う答えを出している人もいるだろう。

そして、同じ答えを出している人には「いいなあ」になるのですけど、違う答えを出している人には「理解できないなあ」になるんです。

どれだけ良いところを見せるか

高学歴高収入な女性の婚活が、案外苦戦している場合が多いそうだ。この記事を読んで、この人たちはちがう答えを出しているのだろうと思った。

「私は優秀だから結婚だって簡単にできるはず。誰もが優秀な私と『結婚したい』と思っているはず」と思い込んでいるそうだが、こういう人にとって生きるとは、

どれだけ良いところを見せるか大会

だという答えを出しているからこういう姿勢になるのだろう。それでうまくいくならその答えでいいのだろうし、実際にうまくいくかもしれない。

ただ、ぼく個人は、出した答えがちがうので、共感できない感じにはなりますね。お見合いの相手もそこに共感できなかったので次々にお断りされているのだろう。

彼女たちは、これまでほとんどミスのない、しくじりのないき方をしてきたのだろうが、しくじらないできたことこそが、この人の最大のしくじりではないかとすら思える。

生きるというのは逆説の連続だと感じているので、どうしてもそう思えてしまう。

とはいえ、これはあくまでぼくの出した答えから見れば・・、ということでしかなく、最終的に生きる意味は「わからない」のだから、彼女の出した答えもそれはそれでいいのかもしれない。

どうやったらしくじらないで、うまくやれるか

その上で、最近の若い人を見ているとこのタイプが多いように感じる。かれらを見ていると、どうやら基本的に

どうやったら、しくじらないでうまくやれるか

どうすれば人生のマークシートで100点をとれるか

みたいな正解を求める問いに関心が強いように見える。

これも上の人と同じで、彼らは「しくじらない人生こそがいい人生」という答えを出しているのだろうが、それがまちがっているという保証はないんですよ。

それでいいのかもしれない。そのままうまいこと生きて、高額の老人ホームに上手に入って、きれいに死んでいくだけなのかもしれない。

ただ、ぼくも猪木さんも天龍さんも、人生は逆説だ、という展開を味わってきているので、一切しくじらないで生きることが目的だとは思えないので、共感はできない。

彼らが、いずれ同じ答えにたどり着く前のプロセスにあるのか、それとも、別タイプの答えを生きていくスマートな別人種なのか、どちらなのかはいまのところはさっぱりわからない。

ほんとうにわからないので、やはり生きるというのはわからないなあ、ということでで今日は終わります。

読んでいただきありがとうございました。

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