周囲に合わせて生きるのはしんどい
>本心を隠して周囲に合わせる
はい、これをやっていない人はいないでしょう。もしやっていない人がいるなら、その人はとてつもなく真っ正直でおもてうらのない人だ。そして、たくさんの問題を引き起こし、苦しんでいるだろう。運が悪ければ高い塀の中に入ったり、ダンボールのおうちに住んでいる可能性もある。
>本心を隠して周囲に合わせる
これは仮面をかぶって生きるということである。最低限は必要だがやりすぎるとよくない。そして、これを読んでいるみなさまにはたいへん申し訳ないことでございますが「日本の会社員」はやりすぎの部類に入っていると思うのでございます。
この記事は、社会ですり減っている人へのエールのつもりで書いている。やたら「本心を隠して周囲に合わせる」ことばかりしているとすりへってしまい、生きていたくないと思えるほど追い込まれてしまうこともある。
社会に向けてかぶる仮面は、「ペルソナ」と呼ばれる。ペルソナとは
人が成長する過程のなかで社会に適応するために身につけた人格のこと。ひとりで家にいるときとは違う、他人に見せるための顔です。
(深刻なストレスは外せない“ペルソナ”が原因かも!?)
一日中この仮面をかぶっている人も結構いるだろう。しかし、あまりながいあいだ仮面をかぶっていると仮面と自分との区別がつかなくなる。かぶった仮面がはがれなくなって肉と一体化していくという楳図かずお先生のマンガを昔読んだ気がするが、ペルソナと本当の自分の切り替えがうまくできなくなるとストレスで病気になるそうだ。
ならば、どうやって最小限にすればいいかということをぼくは長年考えてきた。そしてたどり着いた回答は、ペルソナは「アリバイ工作と割り切る」いうものだ。
ドラマ『相棒』では、いくら巧妙にアリバイを仕組んでも右京さんにあばかれてしまうけど、現実の社会に右京さんはいないのでかんたんなアリバイで通用してしまうことが多い。そして、肉仮面にならないためには
・ペルソナをかぶる時間をできるだけ短くする
・ペルソナだとわりきってかぶれるものにしておくことだ。
たとえば、ぼくは「翻訳者」という仮面をかぶっているんだけど、これはあくまで世間向けのペルソナである。じゃあ仕事をしてないのかというとそんなことはなくて今日は日曜日だけど朝からあくせくやっている。ただし、そこにプライドを置かないということですかね。
たとえば、よくプロ野球OBが「じぶんは野球人ですから」という言い方をする。野球人も世間向けのペルソナだ。しかし、野球という世界で成功してきたプライドと球界への帰属意識が「野球人」という言葉になってあらわれており、脱ぎ捨てられる仮面以上のものになっている。
「自分は大日本帝国軍人でありますから」というのも同じである。それがわるいというつもりはなくて、そういうふうにしていてそれで気持ちのいい人はぜひそうすればいいし、なんの文句もありません!
ただし、野球人とか帝国軍人などというペルソナは立派すぎてその人の顔面にくいこんで離れなくなっている場合がある。
「〇〇物産営業部長」という"肉仮面"が取れなくなる人もいると聞いた。そういう人は退職して「〇〇物産営業部長」でなくなってからも、「元〇〇物産営業部長」というわけのわからない名刺を刷って配るのだそうである。ここまでくると肉仮面なわけですね。
ぼくはそういうかたちで「翻訳人」という仮面をかぶっていないし、かぶりたいとも思っていない。
この仮面のいいところは、フリーランスなので1日で5分くらいしかかぶらなくていいこと。これで食えるということ。資本主義社会で必要とされる1技能(=外国語の翻訳)を持っている労働力として社会に通用するということだ。
極めつけにいいのは、一人でやる仕事なので、実際にやっていてもやっていなくても人にはバレないし、やってなくてもこの仮面をかぶり続けることができる点である。これがアリバイ工作である。
この最後のところ、フリーランスは「やってもやらなくてもかぶり続けることができる便利なペルソナだ」というのが今日言いたいことなのだが、これをあまり言うと同業者からクレームを食うことがあるのであまり言わないようにしている。まじめな人が多い業界なもので。
やらなくてもいいといったってぼくはあくせくとやっていますよ。そこは念を押しておきます。ただし、仮面をかぶっているだけの人もアリだと思っている。そういう人を応援したい。
在宅フリーランスという仮面をかぶって、世間の圧力を受け流すのはイイ生き方だ。生きづらさを抱えている人は、ぜひなんちゃってフリーランスのペルソナをかぶってセケンの圧力を受け流し、のびのびと野比のび太として生きていっていただきたい。
プログラマー、ウェブデザイナー、ライターなども、同じくなんちゃって仮面として通用する。一人でやる仕事だから開店休業状態でもだれにもわからない。そして、世間向けにときどき仮面をかぶっていれば「引きこもりの50代」などと蔑視されなくて済むのである。
くりかえしますが、だからといってぼくが開店休業だといっているわけではないですよ。フル稼働しています。いまもこんなnote書いてないでさっさと仕事をすすめないと進行が遅れてしまうとハラハラしながら書いている。
ただし、開店休業している人もそれはそれでいい生き方だと思っているんです。コッソリやってください。こういうところに正直に「開店休業です」と書くと「けしからん!翻訳人として許せん」、「エンジニアとして許せん」「デザイナー業界の風上にも置けない」などと言いだすクソおやじが出てくるので、開店休業状態の人は律儀に引退宣言などせず、こっそりと肩書だけ利用してうまく世間の風を受け流して自由に生きてください。応援しています。
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