世の中は名前がすべてだと思う
平成から令和に変わったとき、気分も変わった。あの感覚は多くの日本人が共有していると思う。
名前というのは不思議なものだ。名前を変えるだけで時代の気分を変えることができる。
さて、最近の世の中ではネーミングライツを売るのが流行りだ。
埼玉西武ライオンズの本拠地球場は、このほどメットライフドームからベルーナドームに改名した。
今まで通りに「西武球場前駅」で下車して坂道を上っていっても、そこにあるのはメットライフドームではなくてベルーナドームなのである。
気分が変わってなかなかいい。
ナゴヤドームも去年からバンテリンドームナゴヤになり、福岡ドームも一昨年、ヤフオクドームからペイペイドームに変わった。
ネーミングライツはいいものだとぼくは思っている。
ネーミングライツを売れば、なれ親しんだ場所の名前がビジネスライクにいきなり変わる。そうすることで気分が変わるし、なにかと動き出しの遅いこの国にとってはカンフル剤のような効果を期待できる。
前にもこのnoteで書いたんだけど、紅白歌合戦は「令和歌謡フェスティバル」に改名したらいいのである。いくら内容を変えても紅白という名前を背負っているあいだは、昭和の世界を抜け出せない。
名前を変えれば解決できることはたくさんある。
たとえば夏の甲子園大会がそうだ。
地球の温暖化が進む中で、真夏の熱闘はますます苛酷になりつつある。ほんとうは屋根付きドームで試合をしてもらえばいいのだが、それでは高校球児が納得しない。
ただし、かれらは西宮にある"あの球場"にこだわっているのではない。「甲子園」という名前を背負って戦いたいのであり、数々の名勝負が繰り広げてられてきた「甲子園」という伝説に加わりたいのである。
仮に、甲子園を改名したとしよう。たとえば「天王寺動物園付属スタジアム」あたりが理想だ。ついでにアルプススタンドをやめて、ハイジスタンドにする。
それでも球児はあの場所で戦うことにこだわるだろうか。
彼らを熱狂に駆り立てているのは名前である。
東京ドームだってほんとうに日本を元気にしたいのなら、いつまでも東京ドームではいけない。ネーミングライツを売るべきだ。「元気はつらつオロナミンドーム」にすれば、日本は元気になる。
東大だって同じである。東大卒がありがたがられるのは東大で何を学んだかが問題なのではなく、東大という名前がありがたがられているだけだ。
評論家の吉本隆明さんは、「4年ごとに東大と亜細亜大のスタッフを入れ替えたらいい」と言っていたけどそんな大変なことしなくても名前を変えれば解決する。
名前さえ入れ替えればたとえ旧東大のスタッフがまるまる本郷に残っても、受験生の大半は、新東大(旧亜細亜大)を受験するようになるだろう。
ユダヤ人は「ユダヤ人」という名前のためだけに虐殺された。
ぼくは「今からガス室送りになるか中国人になるかどちらか選べ」と言われたら迷わず中国人になるけどな。
日本と中国と韓国が4年ごとに国名を入れ替えれば戦争なんか起こらないが、日本海と東海の表記だけで大騒ぎしているのでムリだ。台湾がオリンピックで台湾を名乗ったらエライことになる。
みんな名前が好きだし、名前のために熱闘するし、名前のために血を流す。
名前とはプライドであり、イメージであり、集客力であり、お金であり、人間という動物にとっては名前がすべてだ。