Mr.マリックの「ハンドパワー」がいかに偉大か
昨日思い切って書いたエヴァンゲリオンのことを考えているうちに、Mr.マリックの「ハンドパワー」もおなじからくりになっていることに気づいた。
悪く言えば、うぶな観客ををだましているともいえるけど、半面で偉大な発明だともいえるわけで、そのあたりの共通を考えてみたい。
ところで、昨日書いた記事というのは、「エヴァンゲリオン」シリーズの作り方についてである。あれはモダニズムという100年以上前から広く知られている手法で作っているのであって、結論から言えば、「人類補完計画というのは空っぽでないとおかしい」ということを書いた。
人類補完計画に複雑な中身があるのなら、それを説明すること自体が大変な作業になるわけで、あんな風に物語を断片化したり曖昧化したりしている余裕はない。
たとえばアインシュタインは、『特殊および一般相対性理論について』という本を書いているけど、これは自分の論文を一般読者向けに解説したものだ。彼は、それをさらにわかりやすくした『物理学はいかにつくられたか』という入門書も出しており、ぼくはそれを読んだ。
つまり、彼は、自分の発見したわかりにくい法則を一人でも多くの人に伝えるために、
懸命になって単純化にはげんでいる
のである。
一方、エヴァンゲリオンの作りは、たとえていうなら『特殊および一般相対性理論について』の第一章と第三章と最終章の順番を入れ替えて、E=MC2を消しゴムで消したような感じになっている。
もし、人類補完計画に深い内容があるならば、アインシュタインのように難しいものをわかりやすくすることにはげんでいるはずで「わざとわかりにくくする」というようなことはやれない。
伝えるのが大変な内容をなんとか伝えたいと願っている人が、表現形式をさらに複雑にするということはありえないのである。
つまり深遠な内容を伝えたいときには、その表現はおのずから単純化していくわけで、その極まったものが神話だとされている。
もちろん、エヴァは「わけがわからないけどなにかがある」と幻惑させるエンターテイメントであり、それはそれでおもしろいものだ。とはいえ、うぶな若者をだましている面もややあるかもしれない。
かつてうぶなオカルト好きだったぼくは、マリックさんのハンドパワーに幻惑されたことがあるのでちょっと似ているとおもった。
ちなみに、ハンドパワーという英語はなくて和製英語だ。直訳すれば「手の力」になるわけだけど、手の力とはいったいなんだろう。
いまぼくがキーボードを打っているのだって手の力だ。そして、マジシャンがすごい手つきでコインを隠すのも手の力である。だからマリックさんは、嘘はついていない。
マリックさんは、ハンドパワーが超能力だとは一言も言ってなくて、ただただ、
と言いながら妙な手つきで手品をやっているだけである。それを、ぼくら視聴者がかってにアタマの中で、
と早合点しているだけで、マリックさんは、ハンドパワーと妙な手つきが関係あるとすら一言も言っていない。
さらに、「Mr.マジック」ならマジックだとわかるんだけど、「Mr.マリック」なので
とこれまたぼくらが勘違いする。
しかし、マリックさんは、名前がマリックだからといってマジックを使っていないとは、ただの一言も言っていない。
芸名を、「ジ」 -> 「リ」に変えて、「ハンドパワー」と言いながらマジックをやっているだけで、あとはぼくらが頭の中で勝手に結びつけているのだ。
一文字変えるだけであんだけ稼げるわけだから、これを発明と言わずになんと呼ぼう。全世界で特許を取ったほうがいいのである。
ただし、「マジシャン」を名乗っている同業者の皆さんが
と思うのもわかるし、見方によっては一般大衆のウブなオカルト心を利用して稼いでいるとも言えなくはない。ぼくも最初に見た時
と勝手に手に汗を握ってしまった(笑)。
ところで、『風の谷のナウシカ』は、環境問題に直面しつつ戦争で消耗している今の世界そっくりですね。いつの時代もこうなんだということを、子どもにもわかるように伝えてくれていますね。