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自分を受け入れる=期待はしない、絶望もしない
今年の断捨離、というお題ですが
去年の断捨離です。ごめんなさい。
わたしは、元々
・物をなくす
・物を忘れる
・物を落とす
ことが人より多くて、
いつだってどうしたものかと思い、
悩んでいました。
そして、そういうことをしちゃったときに
超自己嫌悪に陥って
自分とはなんて駄目なやつなんだ…と。
しかも大体、物をなくしたのを気づくのって
朝とか仕事始めとか、何かの始まりだから
その日は一日中めそめそ。うつうつ。
もうそんな気持ちはこりごりなので
こんな気持ちを断捨離しました!
って書いたら、ちゃんと直そうとしろよ。
と思う人が大部分でしょう。
直したほうがいいしね。絶対。なんなら、本当は直したいしね。
わかってますし、直す努力はします。
ただ、脅迫的だったり、悲観的な【感情】をやってしまった出来事に持ち込まないという、
気持ち断捨離。これをした。
できなかった物事に感情というレンズを着けて覗き込むと、九分九厘、できなかった物事より私の不出来さや生きていることへの嘆きなど
全く関係のないところにフォーカスしてしまって
結局悲しいけど、解決策は出てこないし
自分の体力は消耗するけど、成長はしない
だから感情を反省に乗せるのはやめる。
…というか、感情を持ってきて自分を傷つけるのはやめる。
では、やめるためにはどうしたらいいか。
で、その為には感情は何故生まれるかってのを整理してみた。
「物はなくさないと思っていた(過信)のに、
無くしてしまった(裏切り)」
→自分に絶望
つまり、自分は【できる人間】と思ってた過大評価にあるわけです
過大評価するから、(そもそも起こらない、起こさないと思っているから)リスクが見えないし、対策もしないし、ミスったら落ち込むし、自分がちっぽけに見える
そう気がついたら
「絶対、人よりたくさん物をなくすだろうな」と思って生きる
しかないなって
物を無くす自分
物を忘れる自分
物を落とす自分
が自分なんだなぁって思って生きる
物を無くす自分…が、だめなやつだぁ…
って感情は乗せず、ただそういう自分がいるなぁーって俯瞰的に思って生きる
すると、不思議と
物をなくしてるけど悲しくないし
物を忘れたけど、次にしなきゃいけない行動が出てきて結局解決できてたり…
今までと起こってしまったことは一緒なのに
傷つかない、解決できちゃう
「私はだめなやつだ、もっとちゃんとしなきゃ」という謎根性論を自分に説かず
「あーちゃんと身につけられるようにカラビナ着けよう」って具体的な解決法が見つかるから
今後起こりにくくなる
多分皆こんな感じで色んなことを解決しているんだろう
私はそれが30年かかった
でもそれだけかかっても今成長できてよかった
これからも物はなくすし忘れますが
どうにかできるように各々善処します。
ご迷惑おかけしますが
今後もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。