生成文法とは何か?【生成文法シリーズの補足①】
ゆる言語学ラジオの生成文法シリーズは、動画内でも述べた通り、正確性をかなり犠牲にしています。また、従来の生成文法の入門書で必ず触れているような基礎的な事項も、エンタメ性を優先させた結果、あえて言及していないケースがままあります。そこで本記事では、動画の補足をします。
以降、動画に出演いただいた金沢学院大学の嶋村貢志先生からいただいたコメントをもとに構成します。(文責:水野太貴)
ゆる言語学ラジオの生成文法シリーズ
https://youtube.com/playlist?list=PL911pe0HjN9hhsrCEKElrJ1Qfs3TLPpLA
はじめに
この記事は、僕(嶋村貢志)が出演した「ゆる言語学ラジオ」の生成文法を題材にした回の補足説明をするために作成しました。
「ここは分かりにくかったな~」とか「ここは誤解を招くな~」 と思った箇所に関して、追加説明というか申し開きをさせてもらいます。
動画でも何度も言及されていましたが、YouTube に公開されたものの内容はかなり単純化・理想化されています。なるべく専門用語・詳細な議論は避けるようにしましたが、かなり失敗していたと思います……。とにかく僕の説明がヘタクソだったせいだと思うのですが、結構カットされていたところもあります。
ですので、以下では少しだけテクニカルな話をしながら、ゆる言語学ラジオのリスナーさんにもう少し生成文法のことを知ってもらおうと思います。
生成文法の目標って?
この記事は第1回の補足なので、内容的には前後しますが、第2回で僕は最初に、「生成文法の『生成』とは『明示的な』(英語では explicit)を意味する」と言いました。あのくだりはもう少しあったのですが僕の説明がイマイチだったのでカットされています。あまり記憶が定かではありませんが、確か「明示的な文法規則による、文法的な文の数え上げ」的なことを言っていたような気がします。以降、これについて説明していきます。
「数え上げ」とは英語では enumerate と訳されますが、要はある言語における文法的な文の全てを明示的な規則で定義できるというこ とを意図しています。
例えばある任意の言語を定義する際に、それはその言語で話されている文の文法的な文の集合であるということができます。要は、例えば日本語なら、「日本語話者が話す文をぜーんぶ集めたものだ」ということですね。ただ、その文の数は理論上無限です。数え上げようと思っても、今日本中で話されている文を収集するなんてさすがにムリですよね。
ここで問題になるのは、文がなぜ無限になるのか?です。
よく考えれば、文は単語からできてますけど、単語自体は有限ですよね? 辞書にすべての単語が網羅されているとは言いませんが、とはいえ辞書はほとんどの単語をカバーしているのは事実でしょう。
であれば、論点はこう整理できます。単語は有限なのに、それを組み合わた文はなぜ無限になるのか?
で、ここで登場するのが生成文法です。結論から言ってしまえば、生み出される無限の文を全てを定義できる文法理論を作ろうとしたのが生成文法です。
無限の文を生み出す文法知識なんて、獲得できないはず
生成文法に関して、以下を引用します。
「ちょっと何言っているかわかんないです」となってしまった人に向けて、ちょっとずつ解説しますね。
まず前提となっている「文法的な文の数は無限」ということですが、実際はそうではありません。というのもわれわれ「ヒト」を含む生物には寿命があるからです。「無限」としたのはある種の理想化で、われわれの寿命を無視しています。
しかしそうはいっても文法的な文の数は結構あります。まあ最近は人生100 年と言われていますから、ある言語の母語話者が100 年生きるとしましょう。さらに子供が大人と同じように話せる年齢を5 歳と仮定しましょう(これはあくまで仮定です)。そうすると 96 年間話すわけですね。ちなみに加齢による認知能力の低下や個人の性格による「話好きな性格」や「寡黙な性格」といった要因は無視します。そして毎日100 文を発話し100 文を解釈するとすると、合計で 200 文を日々文法的に処理していることになります。これ を 365 日、96 年間やるとすると700万8000 文になるわけです。多分実際はもっと多いでしょう。
別に言語は他者とのコミュニケーションのためだけに使われるのではありません。一人で考えたり、独り言なんかもあるでしょうし、今こうやって僕がせっせとMacBook Proで書いている文章も僕の言語能力を使って文を生み出しているわけです。
このような膨大な数の文を生み出す(あるいは、解釈する)文法はどのように獲得されるのでしょうか?
以上の疑問に関して、Carnie (2013) の議論を考えてみましょう。Carnie は「無限の文を生み出すわれわれの文法知識は獲得不可能だ」と言います(これは生成文法の共通の見解ですが)。
彼の例え話は以下のようなものです。ちょっと単純化して、子供が言語獲得の際に必要な仕事というのは、ある文の解釈をそれに対応した現実世界の状況に合わせることだとしましょう。
そうすると、例えば赤ちゃんは「猫がキスをしている金魚に気づく (the cat spots the kissing fishes) 」という文の解釈を、その状況とマッチングさせるわけです。
これは、その赤ちゃんの周りで起こっているさまざまな状況の選択肢(「お兄ちゃんが家具を蹴っている」、「お母さんが朝ごはんを作っている」など)の中から「猫がキスをしている金魚に気づく」を適切に選ぶということを意味しています。
つまり子どもが言語獲得の際にすべき仕事は、「猫がキスをしている金魚に気づく」という文を解析してそれに見合った状況を選ぶことを可能にする文法規則の体系を獲得するということです。
すべての文を聞かなければ、文法なんて習得できないはず。だけど…
さて、Carnie (2013) は以上の議論に関して良い(数学的)抽象化をしてくれています。
文は数字で表現され、その数字は文法規則へのインプットであると考えましょう。そしてそれに対応した状況(アウトプット)も数字で表現されているとします。
なので解明したい自然言語の文法規則の体系は、入力である数字(文)から出力である数字(状況)への関数の体系であると言えます。そこで以下のような対応関係を見ましょう。
1から 5 に関して、図②では入力と出力の数字は同じです(x = y)。さて 6 の文はどのような状況に対応するでしょう?
当然「6 じゃん?」って答えが出てくるのですが、もし「答えは126でしたー!」と言われたら? というのも、文から状況を導き出す規則は以下だったのです。
規則①
[(x − 5)×(x − 4)×(x − 3) ×(x − 2) ×(x − 1)] + x = y
つまり、5までは左辺の中カッコが0になるので、x=yが成り立ち、6以降は全然違った数式になるわけですね。
「んなアホな……」と言いたい気持ちもわかります。でも実際、1から5までのインプットしか与えられていない状況ではこの可能性は捨てきれない。つまり、1から5のデータだけでは獲得したい言語の文法規則は決まらず、6番目のデータを得て初めて決まるということになります。
では、これは正しい文法観でしょうか? 残念ながら間違っています。われわれは規則①のようなワケのわからないルールをひょっとするともっともっともっとも~っと後の文、例えば 700万番目に聞いた文で遭遇するかもしれません。これではほぼ人生が終わりかけてます(笑)。
図②の例ではラッキーなことに6番目で遭遇することができました。しかし結局のところ、全てのデータを聞いてからでないと、子供は適切な文法規則を発見することはできません。ところが発話される(解釈される)文の集合は無限なので、これでは寿命が足りないわけです。
冒頭の引用には「伝統文法の多くは、文の実例や例外的現象とそれについての解説を与え文法的な文とは何かを読者にさせる方法を採用した」とありますが、「例外的現象」の一例を規則①と考えた場合、われわれはいつ「母語の文法を獲得したぞ!」 と自信を持って言えるのでしょうか?
これが「言語獲得における論理的な問題 (the logical problem of language acquisition)」です。生成文法では「プラトンの問題 (Plato’s problem)」などと言われたりしますが、これを乗り越えるために考え出されたのが生成文法なのです。
最後に
と、ここまで、生成文法の目標について記してきました。
こうした知識を前提にすれば、もっと「ゆる言語学ラジオ」の生成文法シリーズが楽しめると思います。
次回の記事では、第1回の内容の補足をしてきます。あわせてごらんください。
https://note.com/yurugengo/n/na0898a259113