誰が責めてるのですか? 誰がその部屋に追いやったのですか? 今どこにいるのかわかりますか? あなたの心に聞いています。
仕組みとして叶わなくても、恐れず、"救いたい"その気持ちを言葉にしても攻撃としてではなく、熱意として伝わる世界じゃないのはなぜなのか。
資本主義社会に生命の切り売りするような感覚のストレスを感じている。なぜ、学んでいてもそれが望まれないことだと負い目でやり続けていかないといけないのだろうか。"教育思想"の矛盾さえ感じる。
争いごとでも、逃げ道を知っている場合は不安がなく進んでその出来事が辛いよりも気持ちが高く、乗り越えることができると思えばすぎる時間を惜しまないが、負け試合なのかもと思ってしまった争いは、暗く長い道のりで命が縮む
どんなことを発信したり、言葉をのせていけばいいのだろうと悩んでいたのだが、自分を遠くに、広くに連れて行ってくれるように書こう。
上げ膳据え膳で、説明されたものになんとなくついていけばよかった時代の頃の仕組みから 複雑に理解しないといけないことが増えて 戦う場所がものすごいスピードで変化するので 自分で作った立ち位置も、すぐに怪しくなるので その立ち位置でよかったのかと不安になったり みんなが皆納得いくものを作りあげられなかったと嘆いてる暇はないのではないか そのスピードの中では、神格化も権威性もないような暮らしの中で 信頼の担保の責任比重が分散されたことで 個人で動ける
もっと自分の心の声を自信と勇気を素直に持って聞くんだ!ないないばかりに不安にならなくていい!今ある中でやりたいことでかかることを楽しむことから離れちゃダメだ!
今までに出会った これは嫌だと思うことを してこない人で固めれば良いのだ だから 家族にしても属すことにしても もう 嫌なことは起きると思うその予想に 立ち向かおうとするのをやめよう もうそれでいい それでいいのだ
こだわりって不安から来るものなのだろうか、積み上げたい絶対的な興味なのだろうか
無名な時ほど 周りがいいと言われることをやってみる体験時期は、豊富に興味が増してる頃なので、思いついたものからやっておくのをオススメします。 だんだんやっていると自分の中で腹落ちがやってきて 大体のことに、考える土台ができてきます。 それまでは形にならなくても 焦らないで やりたいことやってしまえばオッケー その時にしか感じられない言葉を その時に使おう
子供が私を殺してくれと 包丁を第三者に願い出たという事実があっても、 暴れまくって騒ぎがおさまり、日数とともに家族ご飯を楽しく終えた後に、 親に対してなんで態度なのかというのをコンコンと話すのは、また振り出しに戻る気にしかさせないのだが、 自分に対してされたことばかり話してくるのだが、自分の子どもが"私を殺してくれ"って泣き叫んだことに疑問が湧かないのはどのように理解すれば良いのでしょう。
勝ち負けじゃない世界で、自分は何を押し出すのだろう 今あるストレスからでしかヒントがおりてこないのなら その時代の爪痕でしかない どうしてもそれでしかそう残すのが精一杯だったという世界に感動する それが、どんなものであっても、刺さる 生存競争もなく、種族の存続の選択可能な世界で、なにを押し出すものとして、生物は今後活動が起きるのだろうか
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019121900892&g=eco 相続税の不申告ニュースを見たことで 考えられるようになった事は 家族であっても、結局取られるとられない 裏切る裏切らない ということを気にしすぎて関係を整理できず 生きている空間の方が多いということ 心理的に衝撃のコストを要する事なので、過去に積み上げた資産となるものを、財産として残せていてもそこに、現時点で疲れることを提案されると "いらないもの"と 認
毎日 親を探して 孤独だった 毎日 やりとりが欲しくて 孤独だった 毎日 交流が欲しくて 孤独だった 大人になったからって ずっと孤独だった 大きくなればいい 成人すればいい 一人暮らしできればいい そう思ってた 市役所に選挙に行けるようになればいい そう思ってた いつまでも埋まらない空間は 埋まってるように張りぼてして 心配して欲しくなかった 自由に行き来出来るように 羽ばたける範囲を広げ
自分が変わったと思う時は揚げ足とりや僻みや無容易な言葉ばかりに縛られているようで、苦しくて、苦しくて、辛い。。と感じている時は、まだ自分の成長の伸びしろがあるということだったのだ。 どこまでゴールの見えないこと続けなければいけないのかと考えていくことになるのだが、いずれ、それらがいつのまにか、 「あら、あの方なりの応援の気持ちがあった言葉だったんじゃいないか」と接する人の言葉がそのように聞こえてくるタイミングが訪れる。 自分の中で吹っ切れたり、乗り越えたり、判断でき
親から無償に褒めてもらえたみたいな瞬間が欲しいからと、満たされない心の満足度を他人に批判してることに気づかず甘えているような年齢の取り方はしないようにしようと心に刻もう