誰が責めてるのですか? 誰がその部屋に追いやったのですか? 今どこにいるのかわかりますか? あなたの心に聞いています。
仕組みとして叶わなくても、恐れず、"救いたい"その気持ちを言葉にしても攻撃としてではなく、熱意として伝わる世界じゃないのはなぜなのか。
資本主義社会に生命の切り売りするような感覚のストレスを感じている。なぜ、学んでいてもそれが望まれないことだと負い目でやり続けていかないといけないのだろうか。"教育思想"の矛盾さえ感じる。
争いごとでも、逃げ道を知っている場合は不安がなく進んでその出来事が辛いよりも気持ちが高く、乗り越えることができると思えばすぎる時間を惜しまないが、負け試合なのかもと思ってしまった争いは、暗く長い道のりで命が縮む
どんなことを発信したり、言葉をのせていけばいいのだろうと悩んでいたのだが、自分を遠くに、広くに連れて行ってくれるように書こう。