質素でいるために努力しています

荒れ狂った結婚生活。
幕を下ろしたのは2020年でした。

1歳だった末っ子は5歳に。
4歳だった長男は小3に。
8歳だったお姉ちゃんは中学1年生にまで成長しました。

私が質素を願ったのは、湯水の如くお金を使い、暇になると女に手を出す元夫に嫌気がさしたからです。

彼のペースに合わせていたら、いつの間に学資保険は解約され、長女の貯金が崩れました。

気づいた時には、仕事を退職せざるを得ない精神状態。
カサンドラ症候群、不安症、不眠症が重なりました。
そこに追い討ちをかけるように元夫が海外赴任。
婚姻期間中、2度のされ妻も経験しました。

心穏やかな家庭、心穏やかな子育てとは程遠い6年間。
あんなに身をすり減らしたことはそれまで1度もありませんでした。

しかしそこには私の落ち度もあったのです。
幸せのハンドルを自分ではなく、彼に明け渡していた点です。
そのことに気づくまで、離婚後数年はかかりました。

気づいて以来、3人の子どもと質素に、小さく暮らすために、工夫、努力をしています。
誘いや誘惑が多い中、それらを掻い潜って生活するのはそう簡単ではありません。

うっかりお金を使ってしまう
うっかり心が疲れる付き合いをしてしまう
うっかり無駄なことに時間を使う
そんなことが度々重なります。

そういうことは特に、近しい人への気遣いが元となっていることが多いかもしれません。本当はしたいことがあったのに、それを先延ばしにして予定変更するなど、自分の大切なことを後回しにしていたのです。

そういうことを元夫との間でもしていましたし、離婚してからはママ友や職場の人との間でありました。(今もそうなることがあります…)

つまり、私はマインドがぶれやすい。
そう自覚することで、選択のために、自分に猶予を与えてもらえるようにコミュニケーションをとる努力もしています。

そうでなければ、つい相手のペースに合わせて自分の気持ちを後回しにしてしまうから。意識の中をモニタリングし、「私が選んだ」という責任を持つ時間が必要なんです。


好きな雑誌

この責任を繰り返し繰り返し身につけていくことで増して行ったのは、自分の内側へのグラウンディング感でした。

他者に流されていたときは、いつも頭がいっぱいいっぱいで、ふわふわして、少々軽い人間だったような印象。外側の世界に遠慮したり気を遣って、その場凌ぎの演技をしていました。

この頃に比べ、今は内側が強くなったかもしれません。
自分の感じることに深く根ざしているから、相手の意見に流されにくくなったり、あえて流されてあげたり。
つまり、人生を強く逞しく生きるためのスペックが前よりレベルアップしたような感じです。

しかし、成長に終わりはありません。
まだまだ、もっともっと深いところがあるように感じます。探るのは他者の気持ちより、自分の心。

今この舞台で、私が何を望むかです。

質素、といっても、贅沢をしないわけではありません。
私にとっては、読書の時間は贅沢。
お気に入りの文具を集めたり、眺めたり。
仕事終わり、夕飯を作りながら飲む白ワインも格別です。

そういう自分だけの贅沢がわかってくると、世間が群がる高価なものや、宣伝されるものに流されにくくなります。むしろ、今この暮らしがどれほど満たされているかに酔いしれるのです。

同時に、他者には他者の贅沢があることもわかるようになりました。
ストレスの捌け口になる世界を持つことはとても大事。
それがスポーツの人もいれば、キャンプの人もいる。
私のように読書や勉強をしたり、ジャーナリングする人もいるのではないでしょうか。


何かに向かう姿勢、そこに人の魅力が映し出されるようにも思います。
私は私の望む暮らしに、姿勢を正して向かいたい。

今後も刺激的な情報に右往左往させられることはありそうですが、戻る場所はいつもここでありたいです。

今日はここまで。



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