母の言うことが聞けなかった最大の理由。
大人になって困ったこと
みなさんは、めんつゆと醤油の違いをご存知ですか?
お布団は、乾燥させないといけないことをご存知ですか?
お祝いをいただいたら、半返しする文化をご存知ですか?
わたしはこういう「大体の人が大人になるまでに知ること」を
全く知らない状態で田舎を出て上京しました。
あはは。笑
きっと母の心配は計り知れないほどだったことでしょう。
今になってやっと理解できます。
母の言うことを全然聞かなかった子供時代
子供というか、結婚するまで母の言うことをあまり聞いていませんでした。笑
その結果上記の通り、超絶世間知らずに育ってしまいました。
実は母もまあまあ世間知らずなのですが(わたしがそれを理解したのは、結婚してからさらに10年くらいたってからですが)
それでも、少なくとも一通りの家事や親戚・近所付き合い等については、教わるところは多々あったと思います。
父の言うことは聞いていた
実は、父の言うことはむしろ楽しく聞いていました。
わたしは比較的勉強に興味がある子供だったので、父はいろいろな少し難しい話をしてくれました。科学、歴史、政治経済、スポーツ、映画、宗教、芸術、漫画などなど。
母はそういったことにはあまり関心がなかったので、
単純に趣味が合わなかったと言うことも、母の話を聞く気になれなかった原因の一つかもしれません。
母の関心は常に日常生活に向いていて、学問や芸術には興味がないようでした(というか、否定的だった)。
母と父の違いとは
長年、母の言うことを聞く気になれない理由は興味・関心の違いで気が合わないだけ・・・と思っていたのですが、
大人になって「むしろこっちが主な原因なのでは??」と思ったのが
ずばり、「人生楽しそうじゃなかったから」。
父は、わたしの子供時代はとても「人生楽しそうな人」でした。
平日仕事のサラリーマンでしたが、土日は遠出させてくれたり、先述の通り子供相手でもいろいろな話をしてくれて、父自身も楽しそうにしていたと思います。
母は、あまり「人生楽しそうな人」とは感じられませんでした。
と言うのも、詳細は伏せますが、母は様々な田舎の風習に人生を翻弄されていました。(おそらく今も)
※参考までに少しご紹介すると、気の強い姑と強制的に同居とか、親族の介護を一手に任されたりとか。
そりゃ楽しくないよね。と思います。
子供達は、たまに帰ってきて楽しいイベントだけする父に懐いているし。(いま思えば、準備とか片付けは全部母がしていた)
頼みの長女は愚痴を聞かせると嫌な顔するし。
挙句18で出ていって、帰省以外帰ってこないし。
(長女=わたし。笑)
どんな人の言うことを聞き入れるか?
これは大人でも同じことだと思うのですが、人間は
「この人についていったらいいことありそう」
と思ったら、その人の言うことに耳を傾けるのだと思います。
当時は子供ながらに、母についていっても(言うことを聞いても)、いいことや楽しいことはなさそう・・・と思ったんですよね。
だって母は、母の言う「こうしたほうがいいと思うこと」をして生きている(そして、生きてきた)はずなのに、あまり幸せそうに見えなかったから。
余談:今となってはわかる、父のずるさ
昭和から平成にかけての田舎の多くの家庭がそうであったように、我が家も父は家事・育児ともにノータッチでした。
おそらく家族全員が、それが当たり前だと思っていました。
父は明らかに家庭の美味しいところどりをしていました。
そりゃ人生楽しいはずです。笑
大人になり家庭の形が変わったときに、わたしはようやく父のずるさを知りました。
それ以来、どちらかというと母に肩入れしているわたしです。言うことも少しは聞くようになりました。
楽しく生きる姿を子供に見せたい
母の言っていたことは、いま考えると妥当なことも多かったと思います。
料理を手伝え → 料理なんてできないよりできたほうがいいに決まってる
部屋を掃除しろ → 掃除なんてしないよりしたほうがいいに決まってる
浴衣の着方は見て覚えなさい → 何でも懇切丁寧に教えてもらえるとは限らないからそのくらいの気持ちでいたほうがいい
わたしは非常識なまま大人になって、若い頃は本当に苦労しました。
子供達には同じ苦労を味わわせたくありません。
そこでどうしたら子どもたちにわたしの話に耳を傾けてもらえるか?と考えました。
結果、わたしは極力「楽しく生きている」母であろうと心がけています。
「自分を大切にしている」とも言えるかもしれません。
母世代(60代です)はどうしても「自分は後回し」「贅沢言わない」「謙虚」「尽くす」「我慢する」が美徳と言う意識が強いのだと思います。
だから自分は我慢してばかりで不幸そうに見える母だったとしても、それは当たり前で正しいことだから、子供も当然言うことを聞くと思っていたのではないでしょうか。
でも、母が受けていたのは女性を都合良い存在にするための教育だったのでは?と思います。
わたしの子供は2人とも女の子です。
彼女たちの将来を明るいものにするためにも、わたしが女性として、まず自分を大切にし、女性でも幸せになっていいんだよと言うことを示したい気持ちがあります。
それが結果的に「親子の良好なコミュニケーション」に繋がるのでは、と考えています。
絶賛実験中!またご報告します
わたしは子供達の前でも嫌なことは嫌だと言うし、ダラダラした姿も見せるし、その代わり嬉しい・楽しい気持ちも子供たちの前でたくさん見せています。もちろん愛情表現も、たっぷりと。
また、自分が機嫌よくいることを重視し、人に迷惑をかけないことであれば甘めに教育している部分もあります。
(例えば、母は人から見えないところでも手を抜くことに否定的でしたが、わたしは手を抜けるところは抜いて、必要なタイミングではがんばればいいと教えています。)
今のわたしの育て方がいいことなのかどうかは、わかりません。
とりあえず現状は、当時のわたし&母よりはわたし&娘たちの方が、良い関係のように感じてはいます。
上の娘は反抗期に入りつつあります。今後、状況が大きく変化することもあるかもしれません。
実験というと響きが悪いですが、正解のないことなので実験するしかないですよね。笑
さあ、このあと我が家はどうなっていくのか?
子供達はちゃんとした大人になれるのか?
家庭は崩壊しないのか?
またご報告したいと思います。笑
今日も大変長くなりました!
読んでくださった方がいらしたらこころより御礼申し上げます。
それではまた!
こと