人に優しくなれないのはどうして?(インナーチャイルドとの対話)
今回も、私のインナーチャイルドと、大人の私の自己対話の詳細を書いていきます。
目的は私のインナーチャイルドを癒すため、自分が自分の親になるためです。
細字は精神年齢5歳のままの私、太字が大人の私です。
また悩み事を聞いてください。
私は人に優しくないと思うんです。
辛い思いをしてる人に共感できなかったり、
困ってる人を見ても、見て見ぬふりをしてしまったり、
表面上、言葉では気遣いや労りの言葉をかけても、実際に何か行動はしなかったり。
そんな自分のことをすごく冷酷な人だと思ってます。
なるほど。
辛い思いをしている人、泣いてる人を見た時にどう思うの?
どうしたらいいかわからないんです。
たじろいじゃいます。
どんな言葉をかけていいか、何をしたらいいかわからないんです。
そうなんだね。
じゃあ困っている人を見た時にはどう思うの?
相手の人に何をすればいいかわかる時や、
相手の人から助けを求められた時には、力を貸せます。
道を聞かれた時に教えてあげたりだとか。
仕事でアドバイスを求められたら教えたりだとか。
けど、何をしたらいいかわからない時は何もできません。見て見ぬふりをしてしまいます。
あとは、何かしてもいいのかな?と思う時も、何もできません。
逆に迷惑なんじゃないかって思って。
例えば、うちの弟が一時期うつ病でオーバードーズをしてたことがあるんです。
希死念慮もありました。
けど、その時も結局力になってあげられなかった。
一応、かかりつけの病院を変えたほうがいいんじゃない?とか、誰か人と一緒にいたほうがいいんじゃない?とか、そんなアドバイスはしたけど、
心から共感したり寄り添うことができなかったんですよね。
正直、そんな弟を見てイライラする自分もいたんです。
甘えてるんじゃないかって思った。
冷静に考えれば、素直に自分の辛さを吐き出せる弟に嫉妬してたというか、私は辛い時も我慢してたのにって思ってたんだと思います。
自分の本音が見えてきたね。
あなたは辛い時、お母さんにSOSをはっきり出せなかったって言ってたもんね。
男性に埋め合わせてもらって、自分を保ってたって。
そうなんです。
弟は父にも母にも弱さを見せていました。
それができなかった私には、弟が許せなかったんだと思います。
体裁上は心配はしていた、けど、死ぬほど辛いって言っても結局死なないんでしょとか、そんなことまで思ってたんです。
心配になって毎日電話をかけてる母親を見ても、よくやるなと思っていたし、
いちいち弟の鬱的な発言にショックを受けて、母親自身もノイローゼになりそうな様子を見て、
なんというか、やるせないというか、ちょっと呆れてる自分もいました。
献身的に尽くしても、本人の問題なんだからって思ってました。
そんな自分の黒い気持ちに気づいていたけど、隠していました。
ただ、心配しているふりをして取り繕っていたんです。
めちゃくちゃ冷酷な人だなって、その時も自分に対して思っていました。
シンプルに言えば、自分ができなかったことができた弟、自分が得られなかったものが得られた弟が羨ましかったんだよね。
そうです。
弟にも親にもイライラしていました。
じゃあ過去にできなかった事実は変わらないけど、今のあなたができない理由はないんじゃない?
辛い時に、辛いって自分の気持ちを認めて、私に正直に伝えてくれればいいじゃん。
私はあなたのいちばんの理解者だよ。
ありがとうございます。
じゃあ、辛い気持ちを認めて、私に弱音を吐けるあなたなら、当時の弟に対してどう感じると思う?
ちょっとどんな気持ちになるかは想像できません。
じゃあ、過去の辛い気持ちを少しずつ受け入れて、辛い気持ちを知っていこう。
過去を振り返って、あなたが辛かったのはいつ何があった時だった?
辛かったのは、やっぱりお父さんがアル中だった時。
期間が長いし、だいぶ前だから、断片的にしか覚えてないですけど。
どんなことを覚えてる?
いちばん強烈に残ってるのは、父親の飲酒運転で死にかけた時です。
道路を逆走されて、電柱にぶつかって、このままじゃ死ぬと思って車を降りて、一人で何とか送ってもらう予定だった場所まで辿り着きました。
用事を済ませて家に帰ると、父親は普通に帰宅していて、何も悪びれる様子もなかったと記憶してます。
その時は、怖かったのと、父親に怒りと呆れの感情がありました。
ただ、そのことは母親に話して少し気持ちが落ち着いたような気もしますが、
もしかしたら自分を納得させていたのかもしれません。
本当は、たとえ父親が寝ていても酔っていても、私の話を聞いたらブチギレて父親を引っ叩くくらいしてほしかったんじゃないかな。
私が死にかけた話を聞いても、どんなリアクションをされたかはっきり覚えてないってことは、母親に救われたって気持ちにならなかったってことだと思います。
むしろ父親のアル中期間は、お母さんも困り果てていて、私の味方にはなってくれないんじゃないって気持ちが重なっていきました。
だって、あまりにも父親の様子がひどくて、母親も疲弊して見てられなかったから、
「私立の中学に行けなくてもいいし、金銭的に大変なら私がバイトでもするから、離婚したほうがいい」って母に伝えた時、断られたから。
「子供のためを思って」ってこの時も言われたんです。
私はこんな悲惨な父親と一緒にいるのも、ひたすら疲弊して余裕がなくなる母と一緒にいるのも嫌なのにって、その時思いました。
何もわかってないなって。
正直、離婚するとかしないとかはどうでもよくて、
「そう言ってくれてありがとう。お母さんはこんなふうに考えるから離婚はしないよ。あなたはそれでも離婚してほしい?」とか、
「離婚することも視野に入れるけど、あなたの意見ももっと聞かせて」とか、
私にもっと向き合って欲しかったんだと思います。
私だってお母さんと同じ環境にいて辛いのに、一人で辛くなって抱えて。私の話も聞いてよって、そう思ってたんだと思います。
このあたりから、お母さんには何言っても伝わんないな。それなら私の話はしないほうがいい。傷つくだけだ。って思いが強くなっていきました。
それでも理解をして欲しくて、自己開示をすることは続けました。
中学3年生の頃、まだ父親がアル中だった時、私に初めて恋人ができました。
その子は、トランスジェンダーで、戸籍上は女性、心は男性の子でした。
私はその子のおかげでだいぶ救われました。
家庭の話もたくさん親身になって聞いてくれて、私に味方ができたと思っていました。
そんな大事な存在のことを母親にも知って欲しくて、「〇〇ちゃんと付き合ってるの。性別は女性だけど、心は男性なんだ」って伝えたんです。
恋人には何度も母親は会っていて、彼のことをいい子だねとも言っていたんです。
当然のように、よかったねと言ってもらえると思っていました。
娘に大事な存在ができたんだから。
けど、実際に言われたのは「女の子と付き合うのは賛成できない」というようなことでした。
母親から見放されたような気持ちになってショックでした。
この人は私のことをわかってくれないと思いました。
この一件が大きなトリガーの一つなって私は母親に嫌悪感を抱くようになりました。
ほんとは理解できなくても、もっと知ろうとして欲しかったのにって、今ならどうして欲しかったかがわかります。
いちばん理解してほしい人に、寄り添ってもらえなかったんだね。
あなたの気持ちを汲み取ろうとしてもらえなかったんだね。
それは辛い気持ちになるね。
そして意見が違うから辛いんじゃなくて、分かろうとしてくれないから辛かったんだよね。
辛い時には、何で辛いのか、気持ちをわかろうとしてほしいって思うんだよね。
そうですね。
心が傷ついた時、こんなふうに話を聞いてもらえたらやっぱり救われます。
それなら素直に人に甘えていいんじゃないかな。お母さんには甘えられなくても。
今辛いから話を聞いてとか、そばにいてとか、
困ったことがあれば、アドバイスが欲しいとか、
頼れる人がいるなら、してほしいことを伝えればいいと思う。
もしすぐに人を頼れないなら、私には甘えてくれていいんだよ。
ありがとうございます。
そう思うと、少し気持ちが楽になる気がします。
そうだよね。
じゃあ改めて聞くけど、今のあなたが改めて辛い人を目の前にしたら、どんな気持ちになるかな。
たとえばまた弟から鬱で死にたいって言われたら、何を思うかな。
正直動揺はすると思います。
けど、何が辛いのか教えて。
理由がわからないなら、何も言わなくていいから、そばにいるよって。
支離滅裂でもいいから、何か言葉が出てきたら私に聞かせてって伝えたいです。
絶対できるって自信はないけど。
人前でいつも元気である必要はないし、笑顔である必要もないですよね。
けど私は人前では弱さを見せちゃいけないってずっと思ってました。
だから自分は弱くない、こんなことで辛いと思わないって、ずっと自分に言い聞かせてきたんですよね。
だから弱さを素直に吐き出せる人が羨ましかったし、許せなかったんです。
共感もできないですよね。
辛い気持ちを認めて、浸るだけ浸って、自分で乗り越えないと、どんどん辛い気持ちがわからなくなって自分にも他人にも優しくできなくなってしまうことに気づき始めています。
ただまだ私は、過去に認められてない辛いことが山ほどあると思うので、またお話をして、一つずつ気持ちを整理させてください。
もちろん、何でも話して。