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他との境界線が薄かった頃の話。


私は幼い頃から、他者との境界線が薄かった。 
その頃はそもそも境界線があるのか、ないのかすらわからないくらい、自然と私の中に入ってきたんだと感じてる。

友達が悲しかったら、悲しくなる。ハッピーだったら私もウキウキしハッピーになってた。
イライラしていたら私までイライラしてくる。

私の中に他のものがどんどん入ってくる。私の居場所はいつのまにかなくなっていく。阻止を試みても一瞬で入り込んで、私という支柱がグラグラと揺れて崩れてしまいそう。
スピードが速すぎて追いつけない。追いつけない。

わたしは何も悲しくも楽しくもないのに、勝手に自分が進んでいく。私を動かすためのコントローラーを私自身は握ってなかった。

何故こうなってしまうのだろうか…
そういった漠然とした不安は奥底の誰も見えないところに存在していることは、その頃から感じてたのを覚えている。

周りにとても恵まれてると感じていて感謝している。
ただ私自身が私の中で孤独や不安を抱えていると知っていながら、知らないふりをしていた事が、それ自体が怖かった。

その頃はどうにかしないと、絶対に後々にとんでもないことになると、妙に確信してたけど、どうしたらいいのか分からなかった。手段がなかった。 

色や雰囲気や表情や感情、空気など目に見えないものの方が受信しやすく(上手く言えないけど)、それを伝える為の人間の言葉に当てはめる事が全然出来なかった。

ただ、あながち悪いことだけではなく、人の感情に敏感であったり、共感性が自然とついている為、
人と上手く接することが出来たり、比較的楽しい思い出が沢山ある。あったなーと、思ってる。笑

周りからは
変わってる、何考えてるか分からない、悩みがなさそう、優しい、いつも笑ってる、羨ましい、とか言われてるタイプ。あとは能天気、とかも
まぁ、、当たってると言えば当たってるな…笑

私の中と外では全く景色が違ってるように思えた。
幼い頃は、将来、本当にこのまま私は生きれるのだろうかという漠然とした恐怖が、私と一緒に普通に日常生活を送ってた。


私が不在の私という形は、私自身にすらも守られていなかった。弱くて脆ーい個体。

今となっては、その頃の幼い自分に感謝できるようになってきたかな。
言葉はこれで合ってるか分からないけど、昔も今もこれからも私と戦い続けるんだと思う。

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