⚫︎私のこれまでの人生①
幼少期から現在までの人生を振り返ります。
3歳、保育園の制服での写真。
まだ性別とか気にしていなかったと思いますが、ぶりっこなポージング(笑)!潜在意識なのでしょうか?年長組の時、家族でお祭りに行った際、姉2人は浴衣を着せてもらえてたのに私だけ甚平なのがすごく嫌で駄々こねて家だけでは着せてもらうことがありました🤣
保育園では男女問わず仲良くしていました。おちゃらけキャラで変顔とかよくしていました(笑)
小学校に入ると黒と赤のランドセルに分けられ、私は勿論黒。これが嫌だなと感じ始めたのが小学4年生の時。サブバッグで登校したら先生に生徒指導室に呼ばれたのを覚えています。また男女で違う黄色い帽子が本当に苦痛で2回くらい捨てました。両親ごめんなさい。(笑)
初恋は男の子でクラスのみんなが好きなTHE当時のモテ男の子🥹小6の時にバレンタイン作って渡したなー。どういう気持ちでお返しくれたんだろう(笑)今でも覚えてるよ♡
中学生になり学ランという地獄の始まり、男女で違う体育の授業、修学旅行や林間学校など、こんなに苦痛なことってあるんだと思いながらも、適正能力はあり、友達が良い人間性の子達(特に女)で全く私を否定せず許容してくれたのが大きく、なんとか生き抜けました。
学ランが嫌だったから指定のジャージで生活したこともあったけど、叱られたくなくて仕方なく着ていて、でもね私服は女性用の服を着てました。お小遣い貯めてこそこそ買ってました(笑)学校以外は女子になりきってました。(絶対バレてた)
高校に上がると隣の市の高校に通い、知らない人が増えたことで急に、女っぽい自分のことが
"恥ずかしい"
と感じるようになり、隠して生きることに。
(今思うと完全に隠し切れてはなかったけど)
なんか可愛い系の男の子、そんな立ち位置。
テレビを付けたらニューハーフタレントさんが出てきて家族や友達と一緒に見てる時に出てくるとめっちゃ気まずかったなあ。。(笑)
時代が時代で、全く自分が出せずにつまらない高校生生活でした。でもバレーボールは唯一の救いでした。
その頃に2ちゃんねるや掲示板などで、女性化について調べてたんだ。
少しずつ色々な情報が出回ってきた頃かな。
興味はあるけど、女性ホルモン剤の使用への不安感、本当に女の子になりたいのかな?など自問自答しまくってました。でも何よりもね
自分はどんなに頑張っても
女の子にはなれない。
と思ってました。肩幅も広い、顔もでかい、手もでかい、足はなんとか24.5cm、救いになる部分が壊滅的。。と。
何度も何度も考えたけど、結局高校生でも大学入ってからも女性ホルモンを摂取することはなかった。
大学生活が終わり、社会人に。そのタイミングで愛知県から東京都に上京してきました。
そこで運命的な出会いがあったんだ。
②に続きます。