長い付き合いの友人がほとんどいなかったけど、東村アキコ先生に救われた話
自分には所謂「幼馴染」のような付き合いの長い友人がいない。
地元への愛も薄いので、小学校の友達も疎遠だし、中高の友達も音楽の趣味が合ういまだに会っている友人は1人しかいない。大学の友人も2、3人くらいしか会っていないので、自分は友人が長続きしないタイプなのかな、と自分という人間が友人を大切にできない人間なのでは?とか考えたりしている時期があった。そんな自分でもフレンズのようなずっと仲良く一緒にいる感じの人間関係への憧れはある。
もちろん、昔の友人に会いたくないわけではない。ただ、自分から連絡取って会いたいかと言われると、今の会社の友達やフェスとかいく友人と遊ぶ方を選んでしまう。
なぜかと考えたが、漠然とした言葉いうと「ノリが合わない」に尽きる。別に昔の友人が悪いとかではなく、相手も自分も波長が変わってしまっているのだ。共鳴しずらなくなって当然だ。いつ会ってもくだらない思い出話ができるところがいい反面、「またこの話か」と正直冷めてしまっている自分もいるのが、昔の友人と再会した時によく思ってしまうことだ。
自分は大学と大学院が終わって、社会人になっても友人と疎遠になっていたため、どこかでこのことを気にしていた。だが、社会人になった時のこと、なんとなくトークが面白いから「東京タラレバ娘」の東村アキコ先生のラジオを聴いていた。「身も蓋もナイト」という番組で、PodcastやYoutubeで聴くことができる番組だ。面白いので、ぜひ聴いてほしい。
そのラジオの中で「友達っていうのは変わっていくもんなの」、「ドラマとか映画で、ずっと中学の同級生と仲良くするのが美しいって思うかもしれなけど、友達っていうのは自分の立場、仕事、考え方で変わっていくの」という話をしていた。先生は学生時代と疎遠らしい。別な回でも大学の友人とは疎遠だと話をしていた。
それを聞いて自分は救われた。もちろん、昔の友達は大事だし、いい思い出はあるし、会ったら楽しく話せるかもしれないけど、いまも会い続けなきゃいけないものではないのかもしれないって思えた。
もう一つ思ったのは、「昔の友人がいなきゃ、いまの友達には会えてなかったり、仲良くできなかったのかもしれない」ということだ。いままでの友達とあった喧嘩だったり、助けれもらった経験が自分が育ててくれたと思えることがいくつかあるし、気づいていないようなこともあると思う。自分も誰か昔の友人を知らない新しい友達に繋げるような時間を作れた可能性もある。
そう思うと、いま昔の友人とリアルに会えてなくても、その人たちのことを思いやることができるし、幸せも願えると思う。
同じモヤモヤを持ってる人がいて、この文章で何か救いやヒントが得られたら嬉しいです。