これで良いのだ いや良いはずない
ついこないだの会議。議題は、単元題材等配列表に即した令和3年度グランドデザインへの構想、について。
一読しただけでは、まず最後まで読むことも難しい。グランドデザイン。今から何が始まるのか。
そもそも、教育現場で行われている現職教育(この地域ではこう呼ぶ)とは何を行うべき場であるのか。
授業力をどう向上させていくのか。まずは、それしかない。
確かに、理論は必要である。しかし、理論的なことをいくら机の上で話したところで、実践なくして教室で子どもの前に立って何ができるのかってことなのだ。
会議となると、こういうところから話が始まる。
目指す教師像とは?
人の一生に関わる仕事だと自覚し自ら学び続ける教師であらなければならない。
児童の話に耳を傾け……
児童に親しまれ……
心身ともに健康であり……
硬い……。そして、時間があまりにももったいない。読めばわかることは書いておいてくれ。いや、今さら何を言い出したのか。もうフィードバックするタイミングにさしかかっているんだぞ。現場は。
情熱を持って教師になって、たくさん時間を使って子どものために何ができるか考えてる。でも、全てが思い通りに行くわけじゃない。なので、お互いに見合い、感じたことを伝え合い、ヒントを出し合おう。膝をつき合わせて話せる時間なんて限られているのだから、もっともっと有意義に使いたい。
一人一言は話さなければいけないらしい。
「うちの職員室は楽しくない」
それしか言うことがなかった。
職員室が楽しくない学校の教室が、楽しい教室になるのだろうかと。楽しいたって、昨日見た動画の話をしたいとかゲームして遊びたいとかそういうことを言っているわけではない。当たり前だが。
新しい教育課題に柔軟するための授業を考えて実践してますか、とか、特別教室の整理整頓がされてない、とか、そもそも授業を受ける気持ちが整ってない、とか、各々がそんな反省を口にして、特に“だからどうする”ってことを言うわけでもなく過ぎていく。
自己責任。
自己一致。
発問一つとっても、どんな言葉で伝えるかでずいぶんと表情は違う。
発するタイミング。子どもとの息の合わせ方。話すスピードもあるし、どちらを向いて言うのか、その時の目の向きだって大事になってくる。
それは、テクニックというより、スキル(技術)と言った方が良いかもしれない。
そう。誰にでも身につくはずのことなのである。学びさえすれば。
そういうことをお互いに見合ってフィードバックしてみんなで高め合っていく。
そういう集団を作るのが現職の教育じゃないのかと。
理想を語るのは大事なのは百も承知だ。目標は書いて表した方が実現すると多くの本にあいてある。でも、授業力をつけるってのはそれだけじゃやっぱり達成されない。
実践あるのみ。けテぶれで言えば、テの部分か。授業をテストと言ってしまえば何だか申し訳ないが、申し訳なく思うからこそ、スキルアップしていかねば。
それに、高め合っていけば楽しい職員室になるだろうし。
そんな職員室つくろうやあ。(『教室はまちがうところだ』風に読んでください。)