ひとつ詩を思い出すともう一つ思い出す詩があります そしていつも頭を叩かれたような衝撃を覚えます
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子さんの『自分の感受性ぐらい』という詩です。この詩が世に発表されて、もうすぐ50年になろうとしているぐらいでしょうか。この詩は、いつ読んでも新鮮でまっすぐで、何か硬いもので心の奥底を叩かれたように感じます。
『ばかものよ』とは、作者の茨木のり子さんが自分自身への戒めの言葉として書いたものでしょうが、『ばかものよ』とは正に全くその通りに、私自身のことを言われていると感じます。
何かあるとすぐに人のせいにしてしまいます。
自分が悪くない原因を探してしまいます。
その度に心がパサパサに乾いていくことに気づこうともせずに。
その私の心を乾ききる前に止めてくれるのがいつもこの詩です。
人のせいにせずに、自分のせいとして受け止めて行く方が後々自分のためになるし、何より、心が楽になります。悪者を探さずにすむということが、いかに心を楽にしてくれるのか。そして、自分の心を前向きにしてくれるか。
自分の感受性"ぐらい"と軽々しく表現しているものが、実は自分が一番こだわっているものなのかもしれません。でも、そんなもの"ぐらい"と捉えていた方が楽だよ、と、さらに教えられている気がします。
どこまでも、指針としていてくれるのがこの詩です。
良い詩に出会えたことに感謝です。
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