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ウルドゥー語とヒンディー語の違い

私は日本の大学でウルドゥー語専攻の3年生だ。インドのジャワハルラール・ネルー大学(JNU)でも、ウルドゥー語の派遣留学生として勉強している。

言語の問題は非常にセンシティブだし、人によって捉え方も違うので、あくまで私個人の意見として読んでほしい。

ウルドゥー語はパキスタンのNational Languageでインドやパキスタンなど南アジアのムスリムの間で多く話されている言語である。一方ヒンディー語はインドのOfficial Languageであり、北インドで多く話されている。

ヒンディー語とウルドゥー語はもともとヒンドゥスターニー語と呼ばれる文字を持たない言語であった。英国が植民地化する際文字が必要になったため、既に英国の研究対象であったペルシア・アラビア文字で文字化された。しかしペルシア・アラビア文字はイスラームを象徴するような文字であったため(インド人の8割ほどはヒンドゥー教)、インド人のアイデンティティとしてサンスクリット文字由来のデーヴァナーガリー文字でも文字化された。(諸説ある。)

ウルドゥー語話者とヒンディー語話者はお互いにコミュニケーションを取ることが出来る。私が勉強してきたのはウルドゥー語だが、ヒンディー母語話者の言っていることも理解できるし、ウルドゥー語を話せばインド人から「そのヒンディー語どこで勉強したの?」と聞かれる。

このようなことから、私はヒンディー語とウルドゥー語はそれぞれ特有の語彙はあるものの、ほぼ同じ言語で文字が違うだけだと考えていた。

しかしインドに来てその考えも少しずつ変わって来た。

以前、私がお手伝いしている日本語学校でウルドゥー語を勉強していると話すと、ある男の子が「僕もウルドゥー語わかるよ!」と言ってきた。ウルドゥー語話者ははウルドゥー文字(ペルシア・アラビア文字)を書くとだいたい褒めてくれるため、私はその時も自慢げにウルドゥー文字で文章を書いてみた。すると驚くことに、彼はその文章を読めなかったのだ。

そのときふと一年生のときの授業で先生が言っていた、『デーヴァナーガリー文字で表記するウルドゥー語』があるという話を思い出した。おそらく彼はデーヴァナーガリー文字を使って生活していたのであろう。ムスリムが多い地域にはウルドゥー語の看板もあるものの、インドにある看板はほとんど英語かデーヴァナーガリー文字表記で、ウルドゥー文字よりデーヴァナーガリー文字を習得したほうが便利だと感じる。(あくまで便利、というだけ。ウルドゥー文字は美しいし、読めたら絶対自慢できる。)

文字化された当初はウルドゥー語の象徴はその文字であったはずなのに、時代と共に言語のカタチが変わってきているのであろう。

今日、JNUのインド人学生に専攻は何かと聞かれたのでウルドゥー語だと答えた。日本語の先生としてJNUに来ている日本人が「ウルドゥー語とヒンディー語は文字だけ違うんだよね?」と聞くと、彼らは「ヒンディーとウルドゥーは違う言語だ」と答える。

彼ら曰く彼らはヒンディー語を話しているらしい。しかしときどきوقت(waqt、時間)やمحبت(muhabbat、愛)などウルドゥーの単語を使うそうだ。

私たちよりも単語の語源に敏感であり、あくまで別の言語として認識していた。

ウルドゥー語とヒンディー語の違いについては個人によっても意見が違うし、時代によっても変わっていくのだろう。日本ではわからない細かい違いについてインドで感じることが出来た。

これが現地で言語を勉強する醍醐味だろう。


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