備忘録の最後のページ(前)
忘れないように
2024.410(記)
2024.3.
悪い予感は当たるもので。その日は仕事明けだったのでいつものように朝9時頃眠りについた。電話の音がしたので携帯を見ると15時30分。子どもたちが学校から帰り一度目を覚ましたがもう少しだけ…と二度寝をした直後だった。着信は母からのテレビ電話だったのでいつもであれば無視してもう一眠りするところだが、その日はなんとなく胸騒ぎがして通話ボタンを押す。電話から聞こえる母の声は少し興奮していて、私ではない誰かに訴えているようだった。
「ばあちゃん、ゆりだよ!ほら!ゆり!」
その声のボリュームでただごとではないことがすぐ分かり、私は飛び起きた。
「ばあちゃん、ばあちゃん!」
私が突然おはようとも言わず叫びだすので息子たちが心配そうに私の元へ駆け寄ってくる。画面越しの祖母はマスクをつけており、息苦しそうに眉間に皺をよせ必死に目を開けようとしていた。
「お母さん、ばあちゃん死んじゃうの?私そっち今から行ったら病院着くの夜になるけど病院入れる?」
私はすでに涙をボロボロ流していた。
祖母は一週間程前からコロナの陽性反応が出たということで市の総合病院に入院しており面会はできないと言われていた。
「ばあちゃん、今頑張っとる。まだどうなるかわからんし、病院も夜入れても多分子ども連れはダメだわ。これで今顔見せれたから、もう来んでいい。」
と母は私を宥めた。私は夫の転職で群馬県に移住したばかりだった。祖母は愛知県にいた。
「なんでもっと早く電話してくれなかったの!」
母を責めたってどうしようもないと頭ではわかってはいるものの、どこにぶつければいいかわからない怒りと悲しさで頭がぐちゃぐちゃになる。私が泣きながら責め怒るので、母は看護師さんに確認するからと一旦電話を切る。
「ばあちゃん死ぬの?」
息子たちは心配そうに私の顔をのぞいた。
「死にそうだから今から新幹線乗るよ。そのままの格好でいいからジャンパー着て、靴下履いて。」
母からの連絡を待たずして私は部屋着の上にロングコートを着、へそくりの七万円を箪笥から出しカバンに子どもたちのゲームとゲームの充電器、携帯の充電機とともに放り入れる。すると母から「病院遅くても入れる。子どももいいって。」とメッセージが入る。靴を履く前に一度部屋に戻り、押入れに入っているカメラを首にぶら下げ私は息子たちと駐車場まで走った。
新幹線は高崎駅から東京駅で一度乗り換えをし名古屋駅まで行く。東京駅に着いたあとも走って一番早い新幹線に乗り換えをした。そこから1時間40分。自由席は三席まとまって空いているところがなかったので、子ども二人と私一人で分かれて座った。次男は私と離れるときに少し不安そうな顔をしたが、何も言わず長男と手を繋ぎ席についた。子どもたちお腹が空いたかも…と気がついたのはしばらくしてからだった。お菓子も飲み物も持たず新幹線に飛び乗っていたのだ。そういえば私の口もカラカラに乾いている。頭も少し痛い。時計は19時を過ぎていた。
「20時過ぎくらいに名古屋に着く。ばあちゃん、まだ生きてる?」と母に連絡を入れた。「ばあちゃん生きてるよ」と返信があったのでホッとし少し目を閉じる。瞼にじんわり汗のような涙がたまる。三席後ろの子どもたちはゲームを開いたまま眠っていた。
あと20分で名古屋駅に着くというところで手に持っていた携帯が震えた。見ると姉からの着信だった。その瞬間、間に合わなかったんだとわかった。「今新幹線だから電話出れない。ばあちゃん死んじゃった?」と送ると「ばあちゃん死んじゃった。頑張ったよ。」と返信があった。「そうか。わかった。」とだけ返信をし知らない男性の横でパジャマをコートの下に隠した私は携帯を握りしめて泣いた。
20分ひとしきり泣いた私はそこからとても冷静になった。もう死んでしまったらどうしようもない。生きているうちに祖母の手を握り顔を見せたかったが、もうどうしようもないんだ。後悔しても時間は戻らないし、もう死んじゃったんだから、ゆっくり行こう。あ、喪服持ってくればよかった、パジャマで来ちゃったよ。お母さん喪服二着あるかな。改札を出たらまず子どもたちに飲み物とお菓子を買ってあげないと。夕飯は駅地下のマックでいいか。
新幹線を降り次男と手を繋ぎゆっくりと歩きながら「ばあちゃん死んじゃったって。間に合わなかった。」と息子たちに伝えた。息子たちは「えっ」と小さな声で驚いたあと静かに涙を流したが、さっきまで泣き喚いていた私が急にスンと冷静になるものだから、どんな顔をすべきかわからなかったのだろう、どこか居心地の悪そうな顔をしていた。改札を出てすぐのキオスクでお菓子と飲み物を買い、「夜ごはんマックでいい?」と尋ねるとやっと少し嬉しそうな顔をした。
しばらくすると母から「名古屋駅まで迎えにいく」というメッセージがきた。名古屋駅からタクシーで津島市民病院まで約40分。Google mapで調べると6000円〜7000円と出ていた。金銭的に結構痛いなぁと思っていたのでホッとした反面、こんなときにもお金の心配をする自分にウンザリもした。
久しぶりに会う母は少し疲れたような顔はしていたが相変わらず姿勢はスッと伸びておりどこかスッキリしたような雰囲気もあった。途中マクドナルドへ寄り、車の中でボソボソしたポテトをホットコーヒーで流しこみながらゆっくりと病院へ向かった。母は病院から連絡がきてすぐに祖母の容態が悪化したことを言い訳のように説明した。私はもう別に責めたりしないのにと思いながら乾いた返事をしたと思う。そんなの今さら、と言ったかもしれないし、それならしょうがないね、と言ったかもしれない。
病院の駐車場に着くと、母は「一本だけ」と言い病院を背中に煙草を吸った。私はその母の姿をいいなと思いながら眺めていた。私も人生で五年間ほど煙草を吸っていた時期があったが、息子を妊娠してすっぱりとやめてからはほとんど吸いたいと思うことはなかった。母が煙をふーっと吐き出すたびに、肺がずしんと重くなるあの感覚をぼんやりと思い出していた。
院内は真っ暗で小さな灯りが点在してついているだけだった。清潔だが無駄なものは一つもありませんと言わんばかりの素っ気のない建物。もちろん静まり返っている。私には霊感はまるでないが全く信じていないわけではなく、そういったものはきっとあるんだろうと思っている。今なら幽霊も見放題なのではと思い、エレベーターの鏡や真っ暗な廊下の奥をじっと眺めたがやはり私には何も見えなかった。
病室に入ると祖母はもう死化粧をしていた。死んでしまった直後だからか本当に寝ているようだったが、寝ている人間は化粧なんかしていないし、そもそも祖母が化粧をしているところなんてもうずっと見ていなかったのでやはりそれは違和感のある寝顔だった。
寝ている祖母の肩にそっと触れるとぱっと目を開け、「ああ、ゆりちゃん、きてくれたの?」と歯のない笑顔を見せてくれた祖母を昨日のことのように思い出した。そっと肩に触れ「ばあちゃん」と声をかけても祖母は目を開けなかった。
「ばあちゃんきたよ。遅くなってごめんね。」
祖母は見たことのないピンクのパジャマを着ていた。祖母のパジャマにはなにか処置したあとなのか、血のような体液のような赤黄色の汚れが付いていた。以前父が亡くなったとき、父の耳や鼻から出る体液からものすごく強烈な臭いがしたことを思い出した。多分あのときの臭いを死臭というのだろう。祖母からは父の亡くなったときのような臭いは感じなかった。死に方や、あるいは人によって違うのだろうか。
祖母の手にはお守りのようなものが握らされていて、その手はもう冷たく固くなっていてマネキンのようだった。子どもたちは病室の機械が珍しいようで、「これ何?これは何?」と顔を出してくれた看護師さんに質問をしていた。そんな無邪気な子どもたちに祖母の死に行く姿を見届けさせてあげられなかったのは残念だったなと思った。人間が死んでいく瞬間を見ることはそうそうない。過去にカブト虫や蚕を飼っていたが虫の命はどうしても軽い。人の命について、そして自分が生きることについてを考えるには、死んでしまったあとではもう遅いような気がした。
私はカメラの電源を入れもう死んでしまった祖母の顔と手の写真を撮った。静まり返った病院で、祖母の病室の隣から知らないお爺さんの「おーい、おーい」と誰かを呼ぶ声だけがずっと響いていた。「多分ボケてるんだよ」と母は言った。
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